昨日午後からは法事にて藤枝まで赴きましたが、車中かなりの暑さ、ハッキリ言って「夏」の一日でした。
「今日はえ~と・・・」と月日を今一度確認したくらい。
この3年くらい、南国のジャングルを思わすような澄んだ声の鳥の囀りを拙寺境内の榎の大木から周辺で耳にするようになりましたが、昨日は本通りの信号待ちの際にも聞こえてきました。
同じ鳥なのか、複数いるのかわかりませんが、あの美声は聞いている者を真に和ませてくれます。
現状2種類の違う鳥の声が晴れた日には特に響いていますが亜熱帯を連想するそれが、本当に南からやってきたとすれば、その声に酔いしれている場合ではないのかも知れませんね。
これから本格的夏を迎えますが一体どうなるのか・・・
私は平チャラというかむしろ望むところですが、苦手の人は数多いるでしょうからね。
扨、酒呑城(またはこちら)周辺について何度か記しましたが、その尾根の南東側、スケールの大きい断崖と大外堀の如くある巴川側から「城ノ腰」を望んでみたいということと、その「酒呑」の語源推測の私の有力説、「鯱の背びれ」とその語源発祥の確証を得ようと向かいました。
巴川の削った谷こそが難攻不落振りを誇る酒呑城の「ウリ」であることは間違いないところですし。
その巴川は身近なところで記せば東海環状自動車道の豊田松平インターチェンジを降りてから向かいます。
松平橋の手前を左折して酒呑(現幸海町)方向となりますが、その巴川沿いの道へは橋(下の画像)を渡ってから左折となります。
ちなみに左折せず直進すれば松平城方向になります。
その直新道は近頃開通したばかりですのでナビだと右折するよう指示されるかもしれません(こちらではまだ工事中の画像が)。下の③の画像はその開通した道から見た橋。前方がインターチェンジ方向です。
というわけで橋を渡ってから左折。
しばらく行くと「巴川甌穴」②③④が。
看板⑤の通り、急流が河床岩盤を削って作る自然の造形です。
水量も少ない時期で岩を削るような流れはありませんが、私の思う鯱の背びれを連想できそうな岩々が溢れています。
ただし水が少ない分「鯱」の存在に今一つピンときませんが私が見かけた少々上流の則定川の合流する箇所の岩⑥⑦を見て、「酒呑」の語源は「鯱を呑み込む(ほどの急流の巴川)」だったなどと勝手に確信した次第(場所はこちら)。
ちなみにある地元の方が「酒が造れるほど水がキレイだからでは?」とは語っていましたが周辺酒蔵らしきものは見えませんでした。
勇ましく勇壮を思う「鯱」シャチが、いつの間にか「激流にのまれる」から同じ「呑む」でシャチが「酒」に変わっていったのでは・・・。強そうなシャチを呑み込むほどの激流を讃えた地名か。そう考えると「酒呑」地名が「幸海」と変わったことは、いかにも悔やまれることだと思いますがね。字面だけで酔っぱらいをイメージするのは短絡。
⑥は看板近くの地蔵。
⑦が付近道沿いの墓石。六字名号とその真宗系を思わす法名、そして献花の枯れ具合、無縁風の佇まいに趣を感じ、ご挨拶してから。
①は酒呑城「城ノ腰」方向を巴川沿いから仰ぎ見る図。
⑩は拙寺境内で今一番にその主張をしている1本を。今だけですからね。鳥たちの囀りの榎の下になります。
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