先日、ラーメンにトッピングの煮卵が入らないので「20円引き」という掲示板を見ました。
各所で卵関係の値上げが広がっていますのでそれに関わる掲示が街を歩いて目立つようになりました。
まぁ大流行りだった鳥インフルの影響で片っ端から鶏を始末していましたし養鶏周辺の値上がりの波も受けてのことでしょうね。育ち盛りの子供を抱える家庭には厳しい環境です。
扨、先日ブログにて中村町墓地について記しましたがそちらから北西方面に進むと県道43号(岡崎碧南線)なる大き目の道路に当たります。そちらの交差点の名が「中ギロ」です。
この「ギロ」については昨日のジュリンナでも記しました通りですが、この近くには泥湿地帯を想うギロという小字名が数カ所見られます。
それより少々南に行った交差点に「イユ」なる名がありますが、こちらの元の字面と意味は不詳。
私が沖縄にいた時に住んだアパートの隣が「イマイユ」の店でしたが、それは「新鮮な(イマ)魚(イユ)」。イユは沖縄の方言「さかな」でした。
昨日はヘボ(蜂)について記しましたが・・・
カタカナ小字名、つい立ち止まりたくなります。
それより面白いのが川に架かる橋の名称。
橋の名と意外にも公園の名など、周囲が改変されてまた、キラキラ風新地名に変更されたとしても以前の地名が残っていることがあります。
公園の名でいえば相良小堤山の南の新興住宅地「汐見台」ですがその中心地にある公園の名が「波津谷公園」でした。
「波津谷」では売り出し名として不都合があったのでしょうかね。やはり地盤は「ジュルい」場所。
そして橋の名称。中ギロ交差点を渡って小字「城堀」に向かって安藤川を渡りますがその橋の名が「しろむかいばし」です。
こちらの安藤川を渡って川下を見た図が③で、こちらはほとんどこの右手に広がっていた三木城の縄張り。まさにこの川が堀だったのでした。
ただし正式地名は上三ツ木、下三ツ木と「ツ」が入っています。
いつもの城郭大系も「三ツ木城」。
「三ツ木織部正信の築城。のちに松平康孝・信孝居城。広孝により落城。現在は宅地と畑。」とありました。
城館は⑨の真っ平な畑と変わっています(場所はこちら)。
その画像奥にタマゴ工場が見えますが、丁寧にかつての城塞の標と掲示板が設置されています。
経営者の意気というものを感じました。
世に土地が改変されて遺構らしいものがまったくみられない
平城等はたくさんありますからね。こういった掲示はとても親切です。
⑩⑪は近くの神明社と境内の上三ツ木町公民館。
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