先日、境内にてお会いした方から「ちょっとお話を・・・」となって、しばし立ち話。
檀家さんの家から嫁に出た方ですが、第一声「私の入る墓がナイ !! どうすれば・・・」と。
現状家族は独り身の娘さんだけで金銭的余裕はまったくないと嘆きます。
それを言い出す理由というのが「癌が再発」して余命宣告されてしまったとのこと。1年ほど前にも余命宣告を受けてから治療に入り、思いのほか抗がん剤の効きがよく以来健常な生活をしていたそうで「これはしめた!」と思っていた矢先の定期健診、空しくも再発がわかったという現実の厳しさ。
それで日々落ち込んでいるとその心痛を吐露されたのでした。
私は「二人に一人」がその病に罹るほど珍しくない病であり今の心痛は尤もなこと。とはいうものの死ぬ生きるは阿弥陀さんにまかせ、今を精一杯に生きましょうと。
「もう少しばかり笑顔をもって楽しく過ごしましょう」。
これは他人事ではなくすべての人において言えることで私もいつもそう考えて生活しています・・・と言いながら蓮如さんの白骨の御文の件をサラッと。
するとその方は昔から母より「おまえはお内仏に屁も嗅がすことができない」とその不信心について嘆く言葉を掛けられ続けていたそうで、今自身がこのような立場になってお寺にお参りに来るとは何ともご都合主義で複雑な心境でもあるとのことでした。
また反省しなくてはならないことが「山ほどある」と言います。
それに対しても「人間ならみんな同じだよ」「反省の気持ちがあればすべてOKだよ」「なんとかなるよ」「とにかく病気と闘いましょう」「またお参りに来てね」といつもの如く励ましました。それしか無いのですから。
特に「二人に一人」の通り、その病で困惑している方は少なくないですからね。
それでいて治療がうまくいく人もいれば予後がよくない方も様々。
そして私がそのような時に発することはいつもそんなところ3つのまかせる(如来にまかせる 自らの身にまかせる 医者にまかせる)です。
まな板の上にひっくり返る・・・それしかない。
扨、先日「下ギロ」なる小字について記しました。
「土呂」(・・・泥)の地のなかでも特に「嫌う」べき地がそのように訛ったのでは・・・と。
このカタカナ地名(小字)というものは元々からそのように記されていたわけではないというのがもっともなところ。
市町村合併により、また新たなる入植・移住者たちに「よりわかりやすく」記す必要があったということでしょう。
そのカタカナ小字がやたらと多いというのが幸海町。
酒呑町から幸海町に変更そして豊田市に併合されたという経緯がありました。夢と希望をもっての変更だったと思います。
ちなみに隣町と合同で開発した新興住宅地がありますがそのおかげで人口減少に一旦は歯止めがかかったものの昨日の画像にあった「幸海小学校」の生徒数は今では最盛期の1/3になっているとのことでした。
ワープロで「こうかいちょう」で「幸海町」と出てきますが「しゃちのみちょう」ではヒットしません。やるせなさがありますね。
酒呑町は小字ではなくれきとした町名、いわゆる大字でしたので
その改名は歴史・文化という面からも思い切った判断でした。
そこで私は興味深くそのカタカナについて一体以前はどのような字があてられていたのだろうと空想に耽ります。
小字として「酒呑」の文字が遺る「酒呑ユノクゴ」から「ミネ」「コガキ」「ヘボノ木」「ミド山」「ゴード」等々。
クゴは古い歴史的な名「供御人」、ミネは「峰」、コガキは「小垣」、ヘボは当地区方言で蜂ですから「蜂の木」。蜂の子は良質な山の幸です。ミドは「御堂」でゴードは「神戸」しょうね。
そして私が最も驚いたというか、一見まったく違うモノをイメージしてしまった「ジュリンナ」です。
幸海町ジュリンナの地名・・・まずはそのイメージとしてはバブル期の象徴「ジュリアナ東京」ですが、まったく✖。またどなたか女性の名とも違います。
近くの住人にその件を問えば以前の字面は「不確かだが『樹林〇』だったかと」とのこと。
そして三河方言で「ジュル」はやはり上記「ギロ」と同様で土地地盤の悪さを言っているようです。
当地相良でも「ゆるい」を「じゅるじゅる」などと表現することがありました。小田原でもシャーベット状の雪道をそのように言った覚えも。滑りやすい地盤で街道の通行上ネックとなる場所だったのかも。
画像は皆福寺が「現在の地より北に500mの地」にあったということで目に留まった「酒呑ジュリンナ遺跡」(場所はこちら)。
足助への街道沿いにその石碑は立っています。
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