幸海町神田皆福寺 酒呑城大手? 熊野神社塩の道と巨石

「ちょいとやっつけよう」という具合に防虫スプレーを足元に噴霧して境内西側の笹葉の中に入りました。

尚、マダニにヤラれてから約2週間が経過。

なんとか無事に過ごせています。

 

一仕事のつもりが結構に手こずってしまい、お昼過ぎから奥方のヘルプがありましたが3時前までに一旦終了。

ざっと1/4程度の進捗で、やっつけられたのはこちらの方だったような。

笹っ葉以外、花ガラなども軽トラに積み込みましたが殆ど満載に近い量になりました。週末にかけて降雨予想がありますので花ガラ処理のついでの気分で始めましたが「笹恐るべし」。

まぁぼちぼちとは思ってはいるものの課題は山積。去年からのものもありますからね。

 

扨、昨日の皆福寺の住所地は豊田市の幸海町神田。

その「神田」について。

昨日も記しましたとおり皆福寺は現在の地よりも北に500mほど行った街道に近い場所にあったそうですが、現在お寺がある地は神田。

なるほど、山間地にあって「田」はその谷間に存在します。

皆福寺は南西に面した小高い丘にありますがその前面は酒呑城に向かう大手道を思わす平坦地ですからね。

そしてその神とは・・・と言えば皆福寺背後にある熊野神社でしょう。かつて神領としての田がそちらに。

 

こちらも歴史的地区のくくりでは「松平郷」、神社は貞永二年(1233)勧請ということで当地区では一番の古さといいます。

何故か二宮金次郎の像が社殿の左の巨石上に立っていますが即ち、かつてはこちらに子供達が集まっていたことの証でしょう。

そして古くから賑わいがあったと聞きます。

 

この街道には「馬頭観音が多い」ともお聞きしましたがそれはこちらには「塩の道」の繁盛があったということ。

当地相良から山間部に至る「塩の道」沿いにはやはり馬頭観音が数多見られますね。

 

その熊野神社から巴川に下りる古道があってこの辺りが人足、馬、荷車、馬車の待機中継点があったかと。

親たちの仕事の間にこの神社が子供たちの学び舎となっていたと推測します。

品物の流通路は勿論、巴川で海から上がる塩、山から下る木材が主たる流通品。その先の足助が次の中継地点でそちらまでの運搬を当地の人々が担っていたのでした。

 

①画像の左端にコンクリートの道が見えますがそちらが最後の画像⑫に繋がります。

その先が巴川方向になりますが、私はチャレンジしていません。

とにかく断崖絶壁といいますからね。

 

また、皆福寺再建の材も足助から巴川に流したものだったといいます。その巴川からの材木を搬入するに酒呑城址からの古道(ナイカ坂)を使用したとのこと。

しかし単純に熊野神社にしろ酒呑城にしろ巴川への道は殆ど崖。どうやってそれを引き揚げたのか・・・わかりませんね。

 

ちなみにこの「幸海町」の名を見て私は真っ先に例の「キラキラ」を思いました。

三河でも広田川(こうたがわ)→幸田の変更がありましたし度々記していますが当地でも地頭方の「鯱岩」(しゃっちゃ)を「幸岩」に変えようという動きがありました。「幸い」にしてそれは今のところ却下されているようですが、要はその「幸」の字面が登場すれば「即キラキラ」というイメージが付いてしまいました。

住まう人たちには申し訳ないことですがいかにも「軽薄」っぽい。

古い地名に親しんだ皆さんからすれば「元の方が良かった」といいますからね。

 

その元の名こそ「酒呑」。

人によってはどうしてもそれが嫌だったようですね。

ストレートに読めば町中酔っぱらいだらけの如く。

しかしその読み仮名は「しゃちのみ」です。

 

①酒呑童子説からすれば熊野神社との関わりも無理に想像することはできますが、②巴川を海に喩えてやはり「鯱の海」の鯱から酒に変化したもの(各所に舟着きに難儀な岩が露出していますので鯱の背びれを想ったか)、そして③酒造に欠かすことができない良質の水が豊かだったことなどなど。

 

現在の名称「幸海町」の「海」は巴川との古くからの関りを思えばアリでしょう。「海」(湊)こそ「幸」に繋がるということは歴史の中で人々がそれを望んだことからわかります。

「幸」(さち)は「酒」(しゃち)の音からひっぱってきた安直のキラキラですが。

 

「幸海」には発音こそ違うものの(さちのうみ)古い名称「酒呑」(しゃちのみ)が秘かに残っているのでした。

余所者の私ではありますがやはり「酒呑」の地名が無くなったのは残念なことです。

 

下の画像が県道487号松平志賀中金線。県道39号と合流して別名足助街道。

この街道そのものが大きい意味で「塩の道」ですね。

以前は勿論このような平坦な道ではなかったことは言うまでもないこと。

崖の上げ下げの労力を考えると当時はまともな道は無かったということ。

道ができればすべてが変わる。