西尾のサクラ 吉良東条城址 遺構も楽しめる 

そろそろ丸一日が経とうとする頃、昨日11時前にようやく連絡がありました。

携帯電話の忘れ物の件です。 

 

私はそれをイキナリ取りに来られても「ハイど~ぞ」という具合に渡したら「コンビニのバイトのおねぇちゃん」と同じだぞ・・・と事前に念を押していましたが、ハッキリとどなたか確認できたということでスンナリ返却できたそう。

私は法事の真っ最中でしたから電話に出たのは当方奥方です。

その発信主は持ち主の奥さんの携帯電話からで、その発信先の名を見て奥方は「ああ~」と思ったそう。

 

相手はそれでも、おそるおそる・・・

可笑しなシチュエーションですが「どちらさまでしょうか?」と電話に出た奥方に聞いてきたそうですが、「お寺です」と応えるとやはり「ああ~・・・」とホッとした様子で合点していたとのことでした。間もなくその当のご主人が訪れて一件落着。

経緯としては孫が携帯ゲームをやりたがりそれを「奪われる」ことがしょっちゅうとのことで、「携帯電話は孫が持っている」というのが普段から頭の中にあったそう。その思い込みから発覚が遅れたということですね。

 

水屋のベンチには当人が置いたようですがそれからずっと携帯電話が無いことに何らの不審を感じず一晩過ごしてしまったそうで、翌日になってから「そろそろ返してね」となったところに孫から「知らないよ・・・」と無情なる言葉。

そこで電話を掛けようということになったのですが、やはり何処で紛失したかなどはまったくわからなかったようですね。

電池が無くなる前でよかった・・・

 

ちなみに私が吐いた「コンビニのバイト」の件は、私が以前コンビニ店内で拾った免許証をその店で働く書生さんらしきバイトの女の子に渡したところ「ハイわかりました」で受け取っておしまいだったことを言っています。

拾得物貴重品の場合はその受け渡し受領に関して責任の全うの意味から「念のため」としながら拾得者の連絡先の一つも「お伺い」または「確かに代理で受けとった」ことを証するのがスジだからですね。

私も「面倒くさい」ということでその場を去りましたが、やはり「バイトさんはバイトさん」なのかと。

接客教育もそんなもの・・・ということを一言で表現したのでした。

拙寺の場合は失くした人も拾った人も、間に入った私どももお寺繋がりで信用という点で問題はありませんでしたが。

 

扨、今年の桜の開花予想についてちらっと耳にしました。

今週からグッと気温が上がるそうで、当地では「3/15」などいう大胆な予想がありました。

すると満開は3月末から4月上旬か・・・というところですが、ここのところ奥方には「一乗谷の枝垂れ」を強くアピールしていますのでそちらが第一の候補地になっています。

そちらは当地辺りとは1週間~10日のタイムラグがありますので4月中旬あたりか。

スケジュールとお天気の具合にもよりますがどちらかの春の華やかさは目に焼き付けたいものです。

 

画像は西尾、東条城址とサクラ(場所はこちら)。

三河一向一揆の終結は永禄七年の春。

大河ドラマでは桜ちらほらの図がありました。

 

「東条城は、三河吉良氏の本城であった。

吉良氏の始まりは承久三年1221、足利義氏が承久の乱の戦功によって三河国守護職に任ぜられたときである。義氏は当初は西条に城を構えてのちにこの地に移り、子孫代々が居城した。」(日本城郭大系)。

一向一揆以前(永禄四)に城主吉良義昭は岡崎(家康)に帰順したものの一向一揆の三河争乱を期に再び反抗し結果東条城は落城。

「三河の盟主は吉良家」の気概が残っていたということでしょう。

一説に三河を離れ芥川城で亡くなったといわれていますね。

芥川城については途中になっていました・・・またいつか。

画像は東条城址、これもライブ感なくて失礼。黄金堤とセットで訪れた際のものです。

 

サクラ満開、あの時期は晴れていればどこに行っても正解。

ただしこの城址、駐車場ありません。