温泉施設といい、回転ずしといい、あの様ではもはや行ってみたいなどという気は起りませんね。
双方共通のその嫌悪感は不潔、不衛生、病的・・・というところでしょうか。
回転ずしの若者の悪ふざけに関しても「おバカが過ぎた」ということですが、業界にとっては致命的な欠点を突かれたということでしょうね。まぁ回転ずしに限らずどちらの飲食店においてもいえることですが、特にあの業態は・・・
温泉施設のニュースは愕然とさせられました。
高級温泉旅館のお風呂で基準値3700倍のレジオネラ菌が出て実際に不調をきたした利用者があったといいます。
年間2度のお湯の入れ替えのみしかなかったようで、当然に風呂掃除は年に2度きりということでしょう。殺菌用の塩素も使用していなかったといいます。
どちらでも経費節減が叫ばれるところですが、酷い裏切り行為です。
そうなると他の施設でも「似たり寄ったり」ということに気づかされるワケで、やはりお風呂は自宅でゆったり・・・ということになりますね。
奥方は毎日風呂は流して当然毎日掃除。
そのあとお湯を注いでいます。一昔前からすれば贅沢なことですが、風呂に入って病気になるではかないませんからね。
客商売も信頼関係があってのこと。
信頼を失い一旦不審を抱かせてしまったら元のようにお客を呼び戻すのは並大抵の努力ではムリでしょう。
この件は「身から出た錆」として受けていただかなくては。
行政の「抜き打ち検査」というものは必要でしょうね。
大抵が事前通告付の検査ですから「その時だけ」うまくやり過ごせばOKなどという不心得者が出てくるに決まっています。
行政の確りした観光業の管理が地元を活性化させるのですがね。日頃からの指導が大切なのですよ。
ここだけでなくその業界のダメージは大きいのでは・・・
扨、渡辺党について記しましたのでその流れで本日も。
また先日来山本党について記してきました。
永井城と勘助墓がある地が岡崎市福岡町でしたがそれよりもさらに針崎勝鬘寺や土呂に近い国生町という地にその「渡辺」の本拠地がありました。
上記永井城について「広田川と占部川・砂川に囲まれた平坦な土
地・・・と記しましたがその占部川の少々上流となります。
やはり真っ平な場所で今となっては遺構はうかがうことができません。
ただ戦国期の館を連想する100m四方程度を思う宅地がありそちら周辺が占部城址と(場所はこちら)。
植栽に囲繞された御屋敷風宅地の表札を確認⑦。
近くのアパートの名前⑧。
②は同国生町、竹ノ下の公民館。
真妙寺の庫裏を兼ねていたことがわかります。
城郭大系の占部城の記述。
「渡辺道綱在城。渡辺氏代々居城。現在は宅地。」
渡辺親子の永禄六年~七年の一向一揆側に立っての戦働き奮戦は知られるところですが、勝鬘寺の準地元。
寺にとっては「有徳なる人」だったことでしょう。
コメントをお書きください