中村町街路 墓地囲いの隅の四角柱石塔と倶会一処

防犯カメラや人感センサー等の需要が伸びているようです。

先日もDIY店でドアオープンアラームセンサーを見て回りましたが、かなり品薄になっていました。欠品だらけのよう。

これまでもその手の窃盗・強盗の類はあったのですが、最近はやたらと多いように感じます。庶民対応に走る図、思われます。

 

コロナ禍によって就業機会を失った・・・などの声も聞こえてきますが盗み働きで大金を稼ぐ「濡れ手に泡」的な本来の努力ナシの安直はゲームの中で使われてきた語彙「ゲットする」の感覚が蔓延しているからでしょうかね。

まぁ、十代後半の若者から中年のオッサンまで多様ですが。

自らの未就労のうえの快楽のために人のモノ(時に命)を奪い掠める姿は何とも嘆かわしい社会です。

ということから防犯グッズの売り上げが好調なのですが・・・。

大音声で鳴り響くグッズ、夜間は特に役に立ちますからね。

 

その事案多しと思うのは画像が残されてメディアもこぞってニュースとしてその画をお茶の間に流しているからでしょうが、今どちらに向かったとしてもカメラの設置があります。

社会の「監視力」はいよいよupしています。

それを知ってか知らずか大胆かつ粗忽な振る舞いが為されるわけですが明白なる証拠となってお縄となる件、枚挙に暇がありません。

監視されているから「(悪いことは)ヤメる」では困りますが、拙ブログでも以前から記していますよう、一昔前の民には「お天道様が~」の発想があってその監視力の鋭さから「悪いこと」への抑止が自ずから発していたということ。

 

「お天道様」とは勿論、その明るさで「私の心の暗さ」を露わにしてくれるという作用があるほか、それ自体を父母祖父母、先達ご先祖様そして阿弥陀さまをも連想させたものです。

日本の文化「猪目」の件でも何度か触れていますがそういった日本人の古い文化が消えているということでしょうかね。

 

その形状(猪目の)だけ一人歩きさせて恋愛どうのと吹聴することもまぁ許容しますが、本来の意味を伝えていただきたいものです。

寂しい話ですがせめてその監視カメラを仏と思い行動を抑制していただきたいものです。

仏の目はいつどこにいても私を照らし、見つめています。

 

扨、昨日記した岡崎福岡町からその西隣、中村町の街路を走行中にたまたま目にした石仏を。

石柱で一面のみのもので仏の種類も不詳。以前でいえばこういうタイプだと奈良のわらい仏近くの四面仏がありましたが・・・

 

地域がら役行者ということはないでしょうね。

私はそういう時はいつも阿弥陀さんかも・・・と言って立ち停まります。

この地区の古い石塔の石材は風化溶解がキツいものがありますが、こちらはサイドに何か記されていますが判読不能です。

 

最期の画像は墓地の中の一コマ。

山本さんというお宅の石塔を失礼して。

新しい石塔を新調したものでしょう。

何より「倶会一処」の語が光っています。

近くの永井城の件がありますから、勝手に納得したというところもありますが。

「倶会一処」は浄土系のお寺で拝読することが多い経典、阿弥陀経(小経)から。

まずこの語が石塔にある場合は7~8割方は真宗でしょうか。

拙寺の境内にその四文字が掲げられた石塔は少なくありません。

 

立ち止まって合掌、他の仏たちにも南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。

(場所はこちら)。