先日は息子の次の仕事の関係で、初めてお会いする方々が集まる法要にお邪魔させていただきました。
「初めてお呼ばれ」の場合はまず施主へ名刺を差し出してのご挨拶からですが法要開式とともに簡単な自己紹介ならぬお寺の紹介から始めることになります。
当然のことですね。
いわゆる「どこの馬の骨」の類の推参、先方の頭の中からその不安を一掃したいということ肝要になります。
特に私の場合は「奥の墓道」氏あたりに言わせれば「胡散臭さを醸し出している様」と言いますので初対面であればその件尚更のところです。
まぁ以前の如く顔の黒さはさめて、髪の色は茶系から黒、白髪交じりに変化していますが。
そういった初対面の坊さんを招いた場合、最近の傾向としては施主は法要後、名刺住所をまずグーグル検索すると聞きます。
笑い話ではありませんが、その住処が「アパートやマンションだったよ」といった愚痴が聞こえてきたり・・・
ということで息子は4月から浜松方面のアパート住まいになりますがあくまでも本拠地はこちらの寺ということで。
その冒頭のお寺紹介コーナーは丁度、大河ドラマで本證寺が出てくる頃合いでしたので近江→三河→遠州の流れ、かつては本證寺の末寺だった等、まぁいわばどうでもいいところでもありますがざっと紹介して本法要に入りました。
扨、歴史好きの友人「奥の墓道」氏もまた大河ドラマは今月に入ってからは視聴していないそうで、「とっくに離脱」しているとのこと。
がつお氏もそうでしたが歴史に詳しい方たちは耐えられない演出のようですね。
未練がましく耐えながらも視聴を続けている私は他人様より鈍感だからなのでしょう。
昨日は永禄六年~ということで舞台は本證寺。
何とかこれまで持ちこたえることができました。
先日はドラマの一向一揆のところ「どうする演出・・・」とまで記した私がいましたが、これまでの描き方とはその様子は違っていましたね。思いのほか見応えがありました。
真宗の考証がしっかりなされていた感。踊りの部分は知りませんが・・・
シーン始まりの「帰命無量寿如来」の当流第一の経典、正信偈冒頭の部分から始まって宗旨の「悪人正機」に「平等施一切」そして空誓の説教も思いのほか良かったです。
数ある劇中、一向宗門徒勢対峙を描く場面、「法話」が語られるなどのシーンは初めての事でした。
放射光背の阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の連呼も私的にはOK、OK。
そして、さすがあの長台詞は歌舞伎役者ならではの力量でしょう。
以前の大河ドラマで上杉憲政役の市川左團次を「イイ味出てる」と感動して記したことがありましたが、今度の空誓は市川右團次。うまいキャストと感心した次第です。
相変わらず笑うところが散りばめられた演出ではありましたが、平岩が丸い石を持ち出して瀬名にプレゼント・・・意味不明のシーンに感じますがあそこはニヤリとするところでしょうか。
平岩だけに丸岩を抱えるところはまさに演出上のお遊び。
まぁ寧ろ一般の歴史ファンにとって真宗宗旨とその描き方などは些末なこと。
私ども門徒衆が納得しても却って視聴率の低下要因になったりして・・・
画像①はその本證寺蔵の本證寺十代の空誓。
慶長十九(1614)に亡くなっていますが江戸期に描かれたものといいますのでそちらも多少の脚色はあるかも。
蓮如の九男の実賢の子が実誓で堅田の慈敬寺住職。その人の次男が空誓(蓮如の曾孫)で本證寺に入りました。
昨日記した土呂本宗寺が三河の真宗寺院では実如(本願寺九代)の子実円(蓮如の孫)が入っていましたので格としては本宗寺の方が上でしたがその系の証専が播磨本徳寺と兼務で三河に不在、実質三河門徒の中心は空誓となっていました。
まぁ、どちらの有力寺院も蓮如さんの系譜、血縁で固められていましたね。
それは親鸞さんの系譜ということでもあります。
各末寺も血縁(血脈)に拘るのはそこのところです。
②は本證寺文書の中の末寺一覧、拙寺が記されたところ。
「相良、他国御末寺」とあります。
以前お軸の墨書き等でも紹介したことがありますが江戸時代までは拙寺は本證寺の末寺。
三河一向一揆に参加していたなどの話は聞いたことがありませんが、戦乱の安土から遠州に来たばかりの頃ですからね。
大坂石山本願寺には籠城していますが・・・
それにしても本證寺末が遠州に少ないということ、遠隔地にも広がっている事など意外でした。
一つ上の横須賀長円寺の記述、「三州藤井村安正寺ヨリ転住」も初見。
二つ上の西林寺は拙寺二代の西念創建の寺で現在は既に廃寺、菊川の堀之内幼稚園の故藤本園長が最後の住職でした。
③昨日記した本宗寺の絵像を江戸期に写したという妙春尼絵像(蔵浄専寺)。
④は先般お邪魔したホールと東海道線の図。その向こうがビール工場に国道一号そして石脇城(またはこちら)方向。
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