久松俊勝の宝篋印塔 たまたま勝ち馬に乗る

奥方より寝耳に水としかいいようのない拘束を受けで意味不明ながらNTTドコモへ連れ出されました。

私が実際にそちらに出向いて解約契約をしなくてはならないとのことでした。

入居の際、息子が横浜でインターネット契約を結ぶに私の名で行ったからだとのこと。

いい加減「自分名義でヤレ」と文句たらたら。

 

数週間前お話した方に「お元気そうで何より」と声を掛けたところ「冗談じゃあない 先日階段から転げ落ちて痛い思いをした まだ足がヨタヨタだよ~」とのことでしたが、昨日その方がおそらくその階段からだと思いますがそちらから「転げ落ちて亡くなった」との報を受けました。階段の下で倒れていたといいます。発見まで時間があったようで気の毒なことですが遠縁の家族のその若手が警察やら病院に出向いていました。

子供もなく独り暮らしだった様。

齢を重ねたら2階以上の部屋は危険ですね。

その方は七十七歳でしたが。私はその方よりももっと若いのに脚立から落ちて救急搬送されていました。

高い場所のリスクは家の中であっても油断がなりません。

 

扨、先日は鵜殿坂の安楽寺について記しました。

その安楽寺は家康の生母、於大が二年ほど住まったことでも名のある寺です。

2015年の火災でその位牌は焼失しているそうですが、於大のもう一つの通称伝通院はその夫久松俊勝が逝去してからのもの。

久松俊勝於大(またはこちら)家康の父廣忠と離縁したあとに

再婚した相手ですが家康に上之郷城攻めの戦功によってその城が与えられてから久松家の菩提寺となったということです。

 

俊勝の名は家康に憚って変えてのものだといいます。

その以前の名は「長家」。

当時としては殿の名と文字の「同一」はあり得なかったからでしょうね。

墓域には囲いのある宝篋印塔と掲示板。

この墓石はその大火を目前にしていたのですね。

彼が亡くなった年、うっすらと「天正十五」の字が窺がえます。