先般、大正十一年生まれの百一歳の方の葬儀式のお勤めに。
地元で書道教室を開いていた方ですが奥様はまだまだ健勝。
ご主人の収集した書関係の文書、筆、硯等やコレクションを「処分せよ!!」との強いお達しがあったためこれまでこつこつと「燃やすか捨てるか」をしてきたとのこと。
それは棺の中に納められた「書」関連の書物を私が目にしたことから色々と聞き出したのですが、ついつい私のエゲツナイ本音が出てしまいました。
「これって値段が付きそう・・・」
故人への家族の想いとしてそれが故人と一緒するわけですから私の横槍は無意味ですが、経験上その棺の中には「おお!!」と溜息が出るような代物が入ること度々目撃しています。
かなり値の張りそうな着物とか・・・
施主はこれまで大量の(価値のありそうな)古文書類を処分してきたそうで「これが最後の一冊」と棺に。
自宅にはまだ「処分に困っているものがある・・・」とのことでしたので、もし捨てるなら「一度は拝見したいものだ」と未練たらたらでお願いしました。
聞けば施主もその息子さんも「まったく興味がなし」と。
ネットで処分することも同様とのこと。
物欲皆無のスッキリサッパリの家系、天晴れ。
そういえば奥方も息子も私の集めた書物等を「捨てる・処分する」を断言していましたが。
人によってはその価値100%200%あったとしてもその近き親族であっても無価値-100%レベルの感覚があるものです。
さて、日々色々な情報が舞い込んで気がかりなこと多々ありますが、今一番に心に残るその言葉。
賽銭箱にあるあの言葉を目にするたびに「涙が溢れる」という方の件。
娘さんと父母3人で数日前にお参りし、翌日にまた今度は夫婦二人で本堂にいらしたところを奥方が出くわしたといいます。
その翌日が娘さんの手術の日とのことで阿弥陀さんにご挨拶に参ったと。
感じ入ります。
是非に阿弥陀さん、何とかして欲しい・・・というのが私の切なる願いです。
手術が成功しますように・・・そしてまた家族の笑顔を見せて欲しい。
生きる、生かされる・・・大切なこと。
①②はその拙寺賽銭箱のことば。
釋海嵐は息子。実名が法名です。
あ奴がそれを言うのは妙に説得力があります・・・
そして③④は昨日記した隣のコインランドリーの駐車場の図。
息子に「こんなんです・・・」と画像を送ると「ヤな感じだね・・・」。
私は「尤・・・」とのみ。
大き目トラックもこれまであの駐車場を突っ切っていますので、夜間などブッチ切ることもあるでしょう。
さぁ、あのポールたち・・・
いつまで立っていられるか、ある意味見ものです。
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