羽栗病院は順因寺(羽栗の灸寺)発祥 

当然のことながら狛江の強殺事件に関わったとみられる若者たちほかグループの面々がお縄になっているといいます。

その進捗は当然とはいうも、ほっとさせられます。

 

しかしこういう時に必ず思うのがその親たちの存在。

どう考えても親の承認あっての犯行であるはずもなく、その犯罪者となった子への母の気持ちです。将に寝耳に水。

中には母一人子一人のような家族構成もあったようで、それを考えれば何ともその母親の気の毒を思います。

 

「母は一人でここまで私(たち)を育ててくれた・・・」などの感謝の言葉は幾度も聞いていますが、「我が母」への恩返しのために楽をさせようとして、他人の母親を手に掛ける・・・なんとも身勝手な無茶話。

狛江事件で母を亡くした息子の談。

「自分のお袋殺されて、頭に来ない人いないし、頭には来るし、その犯人がいれば、ふっとばしちゃうかもしれない」これもまた当然でしょうね。

 

やはりかつて起きたその手の強盗事件。

報道によれば、家中侵入してきた若者(賊)にカッターナイフを突きつけられて「金を出せ」となったその際、主人が日本刀を持ち出して真剣を抜くと彼らは一目散に逃げ出したとのこと。

逃げ損なった一人を捕まえて警察に突き出したそうですが、場合によってはどうなるかなどわかりませんね。

私ならどうする・・・などと考えてしまいます。

そう、刃物を突き付けられたその時・・・時に敵方は私どもを八つ裂きにしようとかかってくるでしょうから。

一対一で話せばわかる事、承知していますが、問題は彼らが狂気となった場合です。

 

息子には言って聞かせています。

「夜陰に乗じて、こっそりと(脅かそうと)帰ってくるな !!」です。

事前に私に報せず抜き足差し足の躰で家中を歩けば、私はハチャメチャ破れかぶれで闇雲に日本刀を振り回すかも・・・

正当防衛を主張するも場合によっては僧籍をはく奪されるかも知れませんが。

その時はその時、息子に「住職を譲るとき」と割り切ります。

ネットで集められた狂気の強襲者はお説教で帰る輩ではありませんからね。

とはいいながら、奥方は「高いびきで爆睡している・・・お前のクビをとるのはカンタン・・・」。

まぁどうでもいいですが。

 

扨、現在の吉良道を国道一号名電山中から桑谷交差点方向に進んで幸田方面に向かうことがかつて何度かありましたが桑谷まで辿らないその途中、羽栗という地に真宗大谷派の順因寺があります。

その寺は通称「灸寺」。

その背後にあるのが羽栗病院になります。近くにも関連施設(老人保健施設)が併設されていますが、要はそのお寺発祥の病院となります(場所はこちら)。

 

病院の紹介欄から

「羽栗病院の歴史は鎌倉時代まで遡ることができます。

1394年、当院に隣接する光明山順因寺(羽栗の灸寺)では、灸と漢方薬による精神科治療が開始されておりますが、 これが当院の精神化医療の源です。

以来代々の順因寺の院主により受け継がれていましたが、 1946年、第29世粟生敏春により羽栗医院が開設され、近代医療と並存するかたちで伝統の灸・漢方治療が行われるようになりました。そして1956年同院は羽栗病院~」と。

 

先般は法蔵寺近くの冨田病院について記しましたが、その発祥を辿れば本宿代官の冨田氏というところ。

代官が、お寺の住職が・・・地域に根差した医療の原点というものがうかがえます。

そういえば拙寺にもいろいろな薬を作っていた形跡がありました(薬の能書き)。

医者と坊さんは「ほぼ同じ」時代がありました。