普段以上に火事についてピリピリさせられるこの時期、各地からそのニュースが飛び込んできます。
神戸の集合住宅での火災のニュース。
そんな悲劇が起こってしまい気の毒でいたたまれません。
その住宅は生活困窮者や路上生活者、障碍者の受け入れ住宅だったそう。
運不運だけで物事を捉えるというのも短絡的ですが、生活困窮も、心身に障害を抱えて困難を生きなければならないその試練も不運なら人生最後まで不運と言う語で締めくくられるなど・・・
どちらであっても火炎の禍から逃れたいものです。
これは昔からの人々の最大の暮らしの中のテーマ。
さて、廣忠墓塔・供養塔について大樹寺、法蔵寺、大林寺、松應寺と記してきましたが今一つを。
国道一号、山中小学校北の「吉良道」と呼ばれる幸田方面へ向かう道に入ります。
それがそのものズバリを冠にした「廣忠寺」 (場所はこちら または参考幸田地区)です。
画像が廣忠寺の墓域。
壇上にある五輪塔×3基は中央に廣忠、向かって右が側室の於久。子に松平忠政、樵暗恵最がいてその左側が忠政になるようです。
最後の画像が廣寺開山という恵最和尚の卵塔。忠政の弟ですね。
看板が朽ちて倒れていましたが、五輪塔3基はわかります。
無数の卵塔から450年以上の年月の経過がわかりますが、よくわかりませんでした。
鬱蒼とした林の中にある墓域でした。
廣忠正室の於大の方(またはこちら)とちがってマイナーのイメージ。
この地に居た於久が廣忠の菩提を弔うよう家康に頼んで建立したといいます。
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