夜間の救急サイレンの音は気になります。
それを耳にする者を一気に不安に陥れます。
火事だとすれば例の街区設置のマイクやら自宅の自治体配布の機材からその場所と内容を時を選ばず報せてくれますので、放送が無いという時は救急ということになります。
昨晩日が変わってしばらくした頃の救急サイレンは何故か途中で止まりました。
それは特にイヤな感じがするものです。
先ずは現場が近隣ではないのか・・・
そして、また走行中にその「救急」の必要が不要になった情報が入ったか・・・です。
救急到着によって現場近くの住居にピンポイントで何かの事案を報せることになりますので「控えて欲しい」の要望があったりすればやはりサイレンは止められるでしょう。
昨日は午前中は境内作業。
昼のニュースでその件を知らされましたが、その事案の発生時刻からすればまさにその救急か、といやはや・・・ピンときました。
午後から地頭方の処理場に向かうその途中、規制線と物々しい警察車両を目にしましたが・・・
再び牧之原市を全国レベルニュースと引き上げた誰もが辛いと感じる事案でした。
世は末期的症状か・・・と思わせる事案がまたも近場で起こってしまいました。
「どうする~」の語が巷で言われていますが「どうする日本」の気分です。
スマホとゲームを売りまくり、大人たちも利便と娯楽を享受してはいるものの「大人たちの以前は無かった」それらによって子供が人生を台無しにしてしまうようなことが起こること、レアケースであると見過ごしていていいのでしょうかね。
私は息子のスマホを彼の目の前でへし折るという茶番を繰り返していましたがそれの魔力は子供にとってオーバーコントロール、悪魔のアイテムになりうるものです。
家庭内のルールを作り念押しして手渡さないと・・・
尚、上記救急サイレンと規制線の張られた地とその事案との関係はわかりません。
今、地元は口を閉ざしています。
さて、先日は阿知波氏と尾張熱田神宮とのからみについて記しました。
雨山のそれですが「熱田神宮」とは記しましたが正式には「熱田神社」です(場所はこちら)。
そちらが阿知波からみの神社であることはその阿知波氏が田地の寄進と脇差・太刀の奉納があったこと。
その弘治ニ年の雨山合戦の戦勝祝いとありますが、菅沼三兄弟を討取ったとはいうものの今川軍本体によって潰走させられているはずです・・・
表現としてそのまま受け取れば菅沼一統との戦闘と今川本体とのそれのタイムラグがあったということか、地元愛でしょう。
多分・・・私は後者を思います
④元和六庚申(1620)の位牌が1つ、神社の氏子が持ち回りで自宅で保管するならいになっていて年に一回お寺で法事をするとか。
境内には背の高いスギが。
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