雨山の御恩 想い思って雨山(旧額田町)へ走る

一昨日の「南蛮の神 サイコー」の押し売り女たちに当方境内に踏み込まれ、私の大切な時間と因果不明ながらの体調不良により、支離滅裂に拍車がかかったような昨日のブログになったわけでしたが、床に付きながら朝までいろいろな思いが交錯しました。

仏教施設といういわば私どもの「聖域」にて外来の神の得意を吹く不躾はありましたがその気の毒な人たちに向かって私の本当の思いを遠慮なくぶちまけたこと少々「言い過ぎ」の反省もありました。

やるせない気持ちと私自身の在り方、それでいいのか・・・です。

勿論阿弥陀さんはバカボンのパパの如く「これでいいのだ」と言ってくれていることは感じるものの「まだ何かあるだろう・・・」の示唆、気づきのヒントはなかろうか探しました。

 

そして朝、どうやらスピード快癒になりそう・・・と合点して思うところあって8時に一人で家を飛び出しました。

 

私は通夜式のたびに拝読する御文は「大聖世尊」(三帖-四)と決めています。

少し長めの御文となりますが、翌日の葬儀式あとに拝読する「白骨」(五帖-十六)とリンクさせるが如く共通のテーマの「無常」について触れるためですが、その「大聖世尊」の最後の部分は特にお気に入り(画像 ① )。

 

「~かやうの雨山の御恩をばいかがして報じたてまつるべきぞや。ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と声にとなへて、その恩徳をふかく報尽申すばかりなりとこころうべきものなり。

あなかしこ、あなかしこ。文明六年八月十八日」

です。

 

「雨山の御恩」の件です。

「たくさんの御恩のもと、こうやって生かさせていただいている」まったく有難き事ですが、それに気づかずにいることは何と浅はかなことか・・・

奥方が言うには、何かの「言語」を耳にしてそれに反応してまったく違うことをやりだすのは「どこかおかしい」と私の偏執を指摘していますが、昨日の変調の布団の中、その「雨山の御恩」と三河額田郡雨山の地名を重ねてこじつけ「行かなくては・・・」といった気持ちが朝までに熟成していったのでした。

 

それは私へのその示唆ともいうべきものがあってそれがかつての拙ブログ無嗣改易も復活  菅沼定実兄弟愛  新城菅沼家」のコメントでした。

 

阿弥陀さんから「行ってみろ」と背中を押してくれているように感じたのでした。

 

さすがに病み上がり、相当バテぎみで、午後三時前には帰路につきましたが天気良好でポカポカ陽気。

有難い有難いと帰宅して風呂にザブン。

雨山の御恩を感じて南無阿弥陀仏。

毎日毎日御恩徳の念仏三昧、それを確認して一日終了。

 

前回うろついた時から変更点多数。

掲示板等が新たに設置されてわかりやすくなっていました。

とりあえず雨山公民館。旧地名「額田」と「雨山」混在の消防団の看板から。「額田」の地名が残っているのも嬉しいところ。

途中豊川から抜けてきたため「宝飯」を冠にした企業の名も目にしましたが。

 

岡崎の大河ドラマ館のポスターが貼られていました。

入館料800円とのこと。

奥方に「こりゃあ無理・・・」(高い・・・)と言うと、「そんなものだろ吝嗇め・・・」と罵られました。

でもパネル展示と衣装が主かと・・・

 

最後の画像がいい香りを放つ境内の蝋梅。

ただし何故か昨秋落葉せず。よって花がハッキリ見えません。香りとともに目でも楽しめる春の定番なのに・・・