供出はセーフ岡崎松應寺梵鐘 女墓場から大岳山の富士

冷たい風が吹きまくる昨日は、長さ5m弱のブロック塀のハツリ作業にかかりました。

木塀に変更しようと思いついてのことでしたがたった2段の撤去でへこたれました。

トップにはブロック塀にありがちな笠状の部材が付いていますのでそれだけでも取り去っていれば面に木を貼り付けて木塀の如く完成することもできましょう。

そもそも全てのブロックを撤去したとしても軽トラに積み切らない(車載オーバー)ということにも気が付いたワケです。

 

何しろハンマー・大ハンマーを振り回しての作業、ヘロヘロに疲れたというのが一番の途中放棄の理由。

 

私設業者の処理場に持ち込めばかなり搬入が厳しくなったようで受付のお嬢さんから「(産業廃棄物の搬入は)個人はダメよ・・・」と断られてしまいました。

そこでしつこく、「毎度解体工事で御社に世話になっている大澤寺で~す。その時出たガラも少々混ざっているので何とかタノム・・・」とお願い。

するとしばらくして何とかOKが出ました。

一瞬頭の中が真っ白になったほど。

折角積んだガラを持ち戻って下ろすなど・・・軽トラはまた別の運搬作業が待っていますので。

しかし体は痛いし心底冷えるし・・・辛い作業でした。

 

奥方にその一連のドタバタを話すと「まず素人はブロック塀の解体はやらないし、処理場に持ち込むこともしないだろう」よって「アホ」なのだとのこと。

あとはのんびりと思案、どう工作しようか・・・

 

さて、松應寺(昨日)には供出を免れたという梵鐘がありました。

私は心が狭いというか、あの政府の愚策、金属類回収令によって「助かった」の梵鐘の例を目の前にするとついつい「ズルイ」と感じてしまう私がいます。

「セーフ」だった例を見ていて、まずそれは一貫性はありません。名目上「貴重な文化遺産」の場合はその供出を逃れる理由にはなりますが、要はコネクションと折衝力。

たまたま顔の利く役人の知り合いが居て、やはりしつこくお願いすれば何とかなった例は他にもありました。室町期鋳造で溶かされた鐘は山ほどありますからね。

 

ちなみに拙寺の梵鐘は既報の通り、供出させられて溶鉱炉へ。

この国は明治の廃仏毀釈といい金属類回収令といい信じられないような愚策を「思い付き」で出すという前科がありますからね。

そんなことを思いながらその梵鐘を見上げました。

 

大き目の五輪塔は江戸初期のもの。

どういった由来か不詳です。

 

①②③図は友人の「女墓場放浪記」から今年の第一回目のお山。大岳山とのこと。

ついつい富士山を撮ってしまうのは私と同じ。

しかしこの寒いのに「よくやるよ・・・」

 

私は熱めの風呂にザブンと即極楽が待っていますからね。

山は登れば降りなくてはなりませんし降りてから帰宅する間がまた辛い。