天気良好で無風。
日向にあれば何とも心地よき日。
しかしながら本堂内の気温は法要前準備の際は6℃でした。
そのギャップについて一般の人には理解しがたいところですので(どちらのお宅も家の中は暖かい)、そのあたりのことを念押しさせていただきました。
最近はご時節がらといいましょうか、ご自宅仏間での「ご挨拶」については控えさせていただいていましたが、その日は、家族だけの少人数ということで伺わせていただきこれから催される本法要についてその旨を伝えたということです。
見た所、子供は薄着。その調子で来られて風邪でもひかれたらこの時期大変です。
子供にとってあの時間は精神的にも苦痛でしょうから、免疫力も低下するはずです。
よってマフラーにコートを着込んで入堂、脱がなくても「まったくOK!!」を告げました。
「暑かったら脱げばいい」ということです。
女性はひざ掛けを持参されていました。
依頼を受ける際、命日に合わせてこの時期1~2月に拘る必要はなく、「温かくなってからでも・・・」とは付け加えています。
先日の葬儀の方も「それは大いに有難い」とのことでした。
さて、今年は岡崎が主役。
地名としては浜松が準。そして静岡はおしるし程度・・・という感じでしょうか。
その岡崎で家康絡みの寺は数ある中、家康自身の手で創建されたのがこちらのお寺。
父廣忠の菩提を弔うためにつくられた寺ですが、寺号に「松」が付けられているところその拘りがあります(こちら)。
寺の掲示板に「災厲不起」とありました。
無量寿経からですね 。
表題の「災厲不起 國豐民安 兵戈無用」はその経典からですが、これまでブログでは「國豐民安 兵戈無用(ポスター)」について記していました。そのたびに以下の件を記していますが今一度。
「(仏が歩み行かれるところは)国も町も村もその教えに導かれないところはない。
そのため世の中は平和に治まり、太陽も月も明るく輝き、風もほどよく吹き、雨もよい時に降り、災害や疫病などもおこらず、国は豊かになり、民衆は平穏に暮し、武器をとって争うこともなくなる。人々は徳を尊び、思いやりの心を持ち、あつく礼儀を重んじ、互いに譲りあうのである」
以前はその「災厲不起」については当たり前のこととして、その有難さについて気にも留めた事がありませんでしたが、いざ、疫病が起こって本来の自然の姿から離れる日々が続くと、ハッと気づかされるのです。
こういった文言に触れてきた仏の教えを長年受けてきた私たちですが・・・どうでしょうか。
しかし太陽・月の輝きと風、そして災害に疫癘は「自然」(じねん)のことで、昨日と同様「おまかせ」ですが・・・人為のいろいろはちょっと・・・困った世界です。日本も含めて・・・
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