昨日の冷え込みはこちら遠州にでもキツいものがありました。
温暖自慢の遠州にあってあれだけの厳しい寒さは言うまでもなく冬型気圧配置がもたらしたもの。大陸からの寒気がドカドカ山越えの空っ風で吹き込んでいます。
その分空は晴れ渡っていますが。
よって太平洋側のこの様ならば日本海側は無茶苦茶。
金沢だ福井だ新潟と恐ろしいほどの降雪景色の画像がニュースから飛び込んでいました。
何せ、人が亡くなるほどリスキーな降雪量ですから、ここ静岡在住の者の言いぐさはただの泣き言の類でしょう。
南国土佐といわれるくらいこちら静岡南遠州と同様暖かいイメージのある高知県からもドカ雪の報がありましたが、ただこちら相良に居ることが特別に有難いことだと思うばかりです。
毎度毎度それを言うのはもはや嫌味に聞こえるでしょうが・・・。
それだけ此の地はスバラシイ。
チェーン装着とスタッドレスタイヤ履き替えとスリップ事故と雪かき雪下ろしに関して絶対に考えないでイイのですから。
どれだけの経費と労力に体力の消耗があるのだろう・・・単純にそれを考えてしまいます。
住んでいるだけでハンデを背負っているということでしょうか。
代々その件子孫の代まで継承している人たちにとってはそれを苦労として思っていないのか・・・
ニュース記事の見出しにEVブームで普及した電気自動車の件、「雪国では不利かも・・・」とありました。
4サイクルエンジン、捨てたものではありませんね。
私も以前高速道路上で突然のチェーン規制から長時間缶詰になったことがありますが、EVは電池の消耗が早そう。
通常のエンジンならば面倒でもスタンドさえ見つければ何とかなりますが(ヘルプ対応も)、充電となるとそう簡単ではないでしょうね。
まぁEVならばマフラー逆流の一酸化炭素事故は無いのですが。
さて、以前購入した徳川家臣団についての書物から成瀬氏の概略がありましたので転記します。
「成瀬氏の祖は二条関白良基とされ流落して三河に行き『成瀬の郷』に居住すという。又太郎のとき成瀬を名乗る。
成瀬城跡は寺沢村(足助町追分)にあり、岡崎七屋敷の一つに数えられている(「地名大系」)。
松平二代目とされる泰親に属し累代『御当家(徳川家)』に仕えた。泰親、岩津城を築き信光を家督とし、同城に移る際、中根・近藤・内田などと従ったという。
のち信光は畠山加賀守某の安城城を攻め落とし、子の親忠にこれを譲った。
成瀬氏は安城に移った親忠に属し城近辺の木戸村に砦をつくって居住した(「地名大系」 ) 。
その後、額田郡六名郷明大寺(岡崎市)野辺を領し、六名郷に砦をかまえて居住する。
その後も長親・信忠・清康・広忠に仕えた。」
こちらにも「中根」の名がありますね。
画像は先般12月22日(新暦ですが)、三方ヶ原戦450回忌の法要をごく少数ごく簡単に執り行った際の図。
今年はそれに合わせて石標を建碑したことですし、あらためて感謝の意を顕しました。
藤蔵正義の位牌です。
勒(釋尼妙意)さんがそれを拙寺に持ち込みました。
先日は藤蔵正義の戒名「隆功院殿節雄大忠大居士」を記しま
したが真宗風に改変。隆功院釋大忠。
拙寺は真宗寺院の流れ通り、位牌の概念はナシ。
これまで代々本堂後堂の奥の奥にブン投げているかの如く放置されていたものです。それを私が大事にしようと拾い上げたもの。
そのため劣化は進み、虫食いだらけです。
当流では位牌は「どうでもいい」代物ですからお炊きあげされなかっただけマシですね。
今は、手を入れておかないとますます朽ちるかも・・・という心配があります。
保存に力を入れるか・・・ブン投げて放置か。
位牌でも古さという面から遺物存続の価値はあるかも。
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お祭り大好き (土曜日, 24 12月 2022 20:58)
三方ヶ原合戦が元亀3(1572)年は記憶の片隅にありましたが、12月22日は未知の分野でした。 2022年11月10日発行の平山優著「新設 家康と三方原合戦」を今日読み始めましたが、本ブログをみて内容を検索すると「一番合戦に・・・、家康公の御内衆成瀬藤蔵十二月廿二日、三方が原にて数輩討死これあり、・・・」とP131~132に記載されています。
これから当書籍をしっかり読みたいと思います。
なお、成瀬藤蔵の位牌を拝見して、永禄3.5.19戦死の今川義元の臨済寺旧神廟で拝観した位牌と同じくらい古い歴史遺産と感じました。(命日法要時は新しい位牌を安置し古い位牌は?)
今井一光 (土曜日, 24 12月 2022 22:24)
ありがとうございます。
平山優著「新説 家康と三方原合戦」を入手したいものです。
布施書店を覗いてきます。
位牌は次回でもお寺に来られた際、御覧にいれたいと思います。