風が無いという仕合わせ。
気温も高めで有難い有難い。
昨日お聞きした故人のこと、都合3回救急車で搬送されたといいます。
私も何度かそのお世話になっていますが、その方の3回はいずれも危篤状態だったとのこと。
1回目は真冬の風呂の件。
最近になってその場所が超が付くほどにリスキーな場とランクアップしていますが、その際家族が気づいた時、湯船に完全に浸かっていたそう。
もともと血圧は高かったといいますが。
担ぎ出して救急車を呼び、その到着まで心臓マッサージと人工呼吸を続けたそう。
駆け付けた救急担当者の口から「心肺停止」の声があったそうですが病院到着前、車内での処置によって息を吹き返し、その後通常の生活に(スグに)戻ったとのこと。
そのあとの2回は脳梗塞だとのことで、何とかそれも復活を遂げましたが3回目の脳梗塞の後、体力の衰えもあって遂に亡くなってしまったとのことでした。
「天寿を全う」のレベルの年齢(九十八歳)ですから圧巻です。
そのような奇特はご当人の体力大丈夫の様もさることながら家族のケアと機敏な対応あってのことでしょうね。
特に冬場は家族や相方の風呂場の状況の把握は必要です。
耳を澄まして・・・時に覗いて声をかける・・・。
さて、三方ヶ原から450年(元亀三年十二月二十二日)。
昨日は忠義の「忠」の字を並べましたが、その忠義の「義」といえば拙寺関りの成瀬藤蔵正義。
寛政譜(こちら)から見るその性質から「義」の文字を推することは難しいですが正義の葬儀の際に送られた戒名が「隆功院殿節雄大忠大居士」。
曹洞宗の戒名についてよくわかりませんが「大」の字が二つもついて「忠」も入っています。
まぁ当流風に改変すればずっとシンプル「隆功院釋大忠」でしょうか。
葬儀は家康の手で差配されたといいますから正義夫妻が真宗に傾倒していても三河一向一揆のあとということもあってその流れでの儀式は無理というのは言うまでもないこと。
勒(妙意)さんもその流れに抗うことはできなかったでしょう。
その成瀬正義といえばとりあえず木戸城(またはこちら こちらが思い浮かびますし、木戸古城ともいわれる長因寺、近くの常夜灯に本證寺などあの辺りを放っつき歩けば何かに当たるという感じ。
その木戸の街区、常夜灯の近くには木戸観音堂という小さな祠がありますがそちらの祠に納まる観音さんが昨日記した梶勝忠の御持仏という伝承があります。
おそらくダミーではないかと勘繰っていますが。
ホンモノはどちらかで管理されているのではないかと思いますが、それだけの伝承がある仏さんなら、安城市の教育委員会も把握しているでしょうし、看板一つ掲げられていないのはどういうことだろうとまったく首を傾げるところ。
境内にその件、記された石碑が建っていました。
成瀬正義の居た木戸に本多忠勝に近侍した梶勝忠所縁の堂があるというところ、三河はそう広くないといえどもあまりにも近すぎる。
明日は春の木戸観音堂を。
コメントをお書きください