風が無い分ラクな一日でした。
よって境内作業。
特に桜を日陰にしてしまう槙の枝払いを行いました。
桜は日光を求めて伸びますので放置していると90度近く曲がりくねります。早めに対処しておかないと厄介な樹形になってしまいますから。既に手遅れといったものもあります。
境内は狭く、私の如く樹木好きにはどれを抑えてどれを生かすかは大問題のテーマとなります。
また、イチョウ、ケヤキ、クロマツ、スギ、など実から発芽しますがそれらを保護しようなどと思うとまったくキリがありません。
最近は「植木はイラナイ、伐採したい」という家が増えて、仕事がなくなったとボヤく植木屋さんの話を聞きましたが、松の剪定など初夏と冬場の年二回、職人を迎えるとなればそれだけコストがかかりますからね。
「伐った方が維持等がラク」ということです。
小木の槙の枝払いで軽トラ一車。
地頭方処理場の経費は610円でしたが、境内の樹木を以前と同じように伐っていたらどれだけの労力と費用になるのか、恐ろしいことです。
息子に「ヤレ」とは言えませんし、そもそも一人工ではムリがあります。プロの手を求めたらおそらく莫大な金額となるでしょうね。
作業費は勿論、処理料金はそこだけで3倍ルールになりますし。
私の都合(法務と趣味)優先ですし、天気の状況もありますからなかなか手が出ませんね。
やるべきこと山積・・・いつもそう言いながらまったく進みません。
さて、浄土寺再訪の本多忠勝墓域です。
昨日は本多家家老の中根忠實について記しましたが同じくあの鳥居を潜ってスグ左側、中根の向かいになりますが家老の梶勝忠の墓があります。
中根と同様、三河の住人、忠勝の死の際、それを追って腹を切ったのも同じです。
偶然でしょうが、忠勝の墓の前面に並ぶ忠實と勝忠の墓。
「忠」の字が光っています。
将に武士(もののふ)の名か・・・サムライには「忠」。
人の名にもよく使用されていますから日本人はその「忠義」を重んじる国民なのでしょうね。
ちなみにここのお寺の伝承「幽霊飴」、門前の飴屋の名が「飴忠」と言うようです。
話は飛びますが私が思うのは裁判官も官僚も政治家も国民に対する「忠」はない・・・というところ。
「中の心」という具合に「自分が中心」のようです。
私・・・?
坊さんともなれば「自我は捨てるべき・・・」なのではありますが、捨てきれるはずなく、せめて阿弥陀さんに忠実に生きたいものです。
すると阿弥陀さんは「ありのままに生きなさい・・・」。
これだから南無阿弥陀仏はやめられない。
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