掛川城から移築された「蕗の門」 圓満寺

BS1「戦禍の中の僧侶たち」を視聴。先日の再放送を再び。

何時観ても腹が立つ。

祖父も教戒師として朝鮮半島に赴いていましたが宗教界全体で戦争協力したというもの。

「殺してはいけない」の大矛盾。

現在はその事に関して懺悔というものがありますが・・・。

ちなみにその協力がなかったとしたら今よく言われる「宗教法人取り消し」の咎があったわけで。

 

朝から風びゅーびゅー。

今年二度目の墓じまいの立ち合い。

施主は遠方につき、来られないとのことで、私がその撤去工事の状況を写メすることになりました。

 

そちらの御家はもともと相良にいらしたのですが、娘さんが3人いらしたもののすべて遠隔地に嫁入り。

昔でいえば「お家断絶」の様。

かつては大きな真宗ならではのお内仏があったそうですが、家を処分された際に小さな家具調お内仏に変更、そして母親が亡くなった今節、そのお内仏といっしょに累代の墓地の撤去の運びとなりました。

墓地継続は不可とのこと。

とても寂しいことですが致し方なきことですね。

御遺骨は拙寺の「一處墓」に合葬することになりましたので、私は墓石解体後に石屋さんに集めてもらった遺骨の洗いに入りました。

 

場合によっては泥まみれの場合もありますが、今回は比較的キレイで何度か濯いでおしまい。

10日ほど乾かしてから埋葬を行う予定です。

尚、石屋さんが言っていましたが、住職が骨を洗う寺はどこにもないと。

 

私がそれを行うことは、亡き人、遺骨となったといえども代々生前に寺が世話になった方々。

縁とはいえご家族の無念の「業」への報いとして私がその「骨を拾う」御役を願い出て一手間かけさせていただくことはせめてもの報謝であると思うからです。

 

最近では墓じまいはどちらの寺でもありますが、先日はそういった流れの中で、「可成り揉めた話」も聞いています。

色々ありますがその件は、段ボールに入れた掘り出されたままの泥だらけの遺骨を施主に手渡したところ「なんだこれは・・・」となったそう。

その家は遺骨を持ち戻ってどちらかに改葬する予定だったそうで車にも載せられないくらい「無残」の躰を醸し出していたそう。

まぁ寺で事前にそういったカタチ(泥まみれ)になることを伝えておくことは必要ですね。

事前に遺骨をキレイに洗って木綿の袋に入れておく・・・などのことを石屋さんに依頼(オプション)しておく必要があったということです。

どなたが悪いわけでもありませんが、まぁ寺の認識不足でしょうね。漫然と業者と施主を仲介してるだけならばクレームになっても不思議はありません。

相手さんは檀家として離れる身ですから、怒り狂うなど大いにありそう。

 

これは結構にデリケートなところで、遺族、家族がアノ様を見たら不愉快になることもあるでしょう。

遺骨と言えば「白骨」のイメージもありますからね。

そのままお渡しすれば泥と濡れて染みた段ボール箱に呆れかえることは必定。

「気分を悪くする」ということ。

 

今回の私の場合は埋葬まで私の手で行うことになっていて写メするだけでしたが、やはり「泥まみれ」よりはキレイにした方が見栄えがイイですからね。キレイな手切れも不可欠。

 

さて、昨日は午後からの当岡崎教区31組の組会の会場、掛川圓満寺に向かいました。

山門が掛川城から移築された「蕗の門」。

以前にも記したことがあったかどうかまったく失念しています。

駅近かつ城近く絶妙な立地です。

 

最後の画像が昨日の拙寺境内水屋付近の図。

ようやく銀杏の葉が落ち、紅が映える様。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 15 12月 2022 09:59)

    墓じまいに誰も来ないとは何とも言いようがありません。
    住職の対処、ありがとうございます。
    10月に墓じまいをしたと言って60年ぶりに会った女性がいました。
    (中学の同級生)神戸から来たと言っていました。
    同じように3人姉妹が嫁に行き家を継いだ人はいなかった。
    墓じまいするなら顔を見せてほしいと思います。

  • #2

    今井一光 (木曜日, 15 12月 2022 19:21)

    ありがとうございます。
    時代と人の考えが変わったということで仕方ないことで、割り切りが必要でしょう。
    寂しいことですが・・・。
    この町がかつての城下町時代の繁栄と人口の増加があれば何事も好転するとは思いますが実現可能かどうかその期待は絵空事のようにも感じます。
    すべての変化を受け入れなければならないのでしょうね。
    糾える縄の如しとも言いますので、次の僥倖に微かな期待を込めて。
    とはいいながら毎日楽しく日々送らせていただいています。