ないまぜの物語 江戸期の庶民芸能 泉岳寺山門

一昨日、神奈川県から鉄道とバスを乗り継いでお参りに来られた檀家さんの件。

いつもご夫婦での来訪でしたが奥さんは「不調につき」とのことでご自宅で待機の様子。

「ご無沙汰」と前回の来訪からインターバルが空いてしまったことに触れていましたが、その間、聞くに「筆舌に尽くしがたい」と思われる闘病生活があったといいます。

「癌との闘い」・・・それも転移各所とのことで外科手術に抗がん剤での治療を「済ませた」とのこと。

 

それにしても以前と変わらぬ血色とお元気な姿に驚いていると、医学の進歩と「やはり運動のおかげ」だろうと。

雨天を除き毎日20~30㎞の「チャリダー」 (サイクリング)を続けていたそうで、そのおかげで病への抵抗力が付いたといいます。

それを聞き私は最近の運動不足を反省しました。座ってばかりの私がありますからね。

奥さんも同じような病になって今は回復しているといいますからまさに奇特なことと感じました。

ただし奥さんの今の不調は重いものを動かす際に患った圧迫骨折とのことでした。

 

その方からは「二人に一人の確率で癌になる時代。くれぐれも検診は怠るべからず」との注進をいただきました。

 

さて、表記「ないまぜ」の語について。

その語は狂言、いわゆる歌舞伎などの物語、脚本のことを言いますので「あることないこといっしょくた」の如くのイメージが漂いますが漢字で記せば「綯交ぜ」となります。

これは「禍福は糾える縄の如し」の「糾う」あざなうと同じ「縄をなう」の綯う(なう)~ですね。

 

人生を弄ぶ「禍福」と同様、目まぐるしく虚実が入り乱れる物語といったところ。江戸期の庶民はその展開、手法を好み、幾度も重ねてそういった物語を観に赴いたのでしょうね。

 

たとえばその「ないまぜ」の件、先日の観劇、国立劇場の演目は「本朝廿四孝」でした。ちなみにチケットは叔父から贈呈されたもので席は最前列。満員でした。

 

昨日記した太田道灌の

 

七重八重  花は咲けども 山吹の

             みの一つだに なきぞ哀しき」

 

がありました。

この歌の本来のポイントは「実の」と「蓑」を掛けたところですが、「本朝廿四孝」の四段目、「道三最期の段」では「蓑」と「美濃」を掛けていたりします。

 

斎藤道三が足利将軍義晴を鉄砲で撃ち殺しその子と武田家と長尾(上杉)家をすべて滅ぼして天下を獲ろうというスジの中(謀反人劇)、恋心一つ勝頼をひたすら思う謙信の娘「八重垣姫」の物語。ないまぜです。

話の展開も「え?」と思わす件多彩でやはり2度3度と出かけなくてはわからないような仕立て

 

 

尚、道三が将軍によって尾張をとられて美濃一国にされたことを恨んでの策謀ということが最後の段でようやく知らされるのですが「蓑を美濃」と掛けたのは「美濃・尾張」 (身の終わり)にも掛けたものであり、それもこちらから長田忠致からでしょう。

 

「ながらえし いのちばかりは 壱岐守

            美濃尾張をば いまぞたまわり」

 

よって狂言、歌舞伎に浄瑠璃の物語に史実どうこうを考えてもまったく無駄。詳細は「本朝廿四孝」をググっていただければ。

 

画像は観劇前に立ち寄った泉岳寺の山門。

日本人の大好きな演目の一つ、赤穂事件四十七士の墓がある場所です。

この手の作品も吉良大悪人のストーリーは多分に盛られていると感じる次第。

それも相当に・・・私は吉良さん、気の毒派です。

 

謀反人・・・悪だくみをして国家転覆の策略、己の身のみの利益を得ようとする者・・・必ず非業の死を迎えるというところ(勧善懲悪)は爽快また教訓的。

仏教的に言えば古くから言われている「因果応報」ですがね。

 

逆に非業の死を遂げた者は「その理由」を探られて、そしてそれが「密かに『悪い種』を撒いていたから」ということで庶民は納得するのでした。

よ~くわかります・・・。

 

そこのところ「ないまぜ」にしてはイケません。

狂言でない現実(「実の・・・」)世界は。