昨晩も行方知れず探しの件、町内各所に立つ拡声器から聞こえてきました。
昨日の当地は風が吹き師走に入って一番の冷えを感じました。
この寒中防寒着も着ないで79歳(確かそう聞こえました)の方が歩いているというのですから・・・
当地では街区の拡声器が活躍するのは主にその行方不明者と火災を報せるとき。
私は各地を渡り歩きましたがその手の行政サービスについては知りません。
火災の場合は夜中だと叩き起こされて閉口させられますが、近隣でのそれはやはり大いに気になることですから許容できますが・・・。
そしてその行方知れず広報の拡声についてはある程度の齢を重ねた人にとっては少々気になる問題となります。
あの放送の内容はいうなれば捜索手配ですのでどちらのどなたか、その風体衣服まで告知し、勿論人物の特定に至ります。
それを皆さん、自身それだけはカンベン願いたいというのが本音になっている様。
家族に黙って家を出てしまうということに他なりませんから家庭内の問題を晒しているようなものでかつ認知度低下を示唆するようなものですからね。要は単純にその放送に自らが登場することは「恥」というのが共通見解。
もし私が寒風吹きすさぶ中、短パン、Tシャツ、ビーサン姿で家を出てその街区のスピーカーで捜索願が為されるのは嫌ですね。
「大澤寺の前住職が認知症にて徘徊」。苦笑するしかありません。
とはいえ真に私がそのようになった場合、もはや認知機能を喪失しているのですから、否も応もありませんね。わからない。
ただ長生きすることだけを歓んでいる場合ではありません。
さて、昨日は「ただ勝つのみ」とリップサービスをしたのでしたがやはり「ただ壁は厚かった」ということで終了。
4年後? 偶然が重なったとはいえ上出来でしたが、また同じようにうまくいくかなどはわかりません。
だいたい「私」が生きているかなどもわかりはしない。怪しいものです。
一言また諺を記せば「一寸先は闇」これこそ必定のこと。
偶然とは違うのです。
その忠勝の出生は昨日記したとおりですが亡くなった地といえば桑名。
以前そちらの浄土寺については古い画像とともに記していました。
その数年後に再び桑名に立ち寄ったときのこと、そちらの門前を見て驚かされました。
これほど変わるものかとその変貌ぶりに立ち尽くしたのでした。そもそも私の記憶の中にあるそのお寺の様子とはまったく異にしましたから(こちら)。
「時」の移ろいはまさに事物の変化というものを示します。
変化こそ無常。特に自身の齢と記憶の薄れてくるところ、恐ろしい。
いい方に変化できるうちはいいのですが。
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お祭り大好き (水曜日, 07 12月 2022 10:42)
私の居住地でも行方不明者の広報があり、明日は我が身と想像しています。
大多喜から転封した桑名の本多忠勝本廟には驚きました。 初赴任地の千葉県大多喜城下の忠勝開基の良玄寺には、分骨された忠勝夫妻と次男忠朝2代大多喜城主の新しい墓石が建立されています。 小堤山公園の曽孫本多忠晴初代相良藩主の墓所が自然で相応しいと感じます。 ただし、花筒が片方のみが哀れです。
今井一光 (水曜日, 07 12月 2022 14:22)
ありがとうございます。
いつもの「私だけは大丈夫」の根拠というものがありませんからね。
私にとっての時の移ろいのその末期を考えると(近々のようですが)やはり怖い。
平チャラでなどいられません。
しかしどうにもならない事でまかせる他はありませんが。
枯花の残る1本だけの花筒の下と言うのも時の流れに従って生きてきた者の歩む道。