聖徳寺 中根家墓域 以前の聖徳寺は川の城側

日本の、というか静岡の・・・と言わなくてはならないかも知れませんが、またも幼小児教育の汚点を残してしまいました。

裾野の保育園の先生方が逮捕されたとのニュースはかなりショッキングなことでした。

親として震撼させられるような出来事で、確かに皆さん怒っていました。

 

あの種の職業の件、その失態を根ほり歯ほり取り上げて騒ぎまくり注目し続ければ・・・いよいよその仕事をしたいという若者はいなくなるような気もします。

要は少々、微妙な感じ。下手に感情を表にあらわしたりしたくらいでアウトになるという、慎重極まりない、そして重労働、低所時の三拍子揃った職種だからですが。

 

確かに今回、相当無茶とも思える「教育的指導」があったことが伝えられていますが、私の記憶ではかつてげん骨や頬っぺたをつねられたりドン叱られたことなど普通にありましたね。

犯罪行為との境界線がねぇ・・・

さすがに私が保育担当者だったとしたら他人の子供を逆さ吊りにはしないでしょうが、息子や姪っこなどお遊びとしてそれは日常茶飯事のことでした。

むしろ大喜びでしたからね。

 

学校教師もしかり、息子の同級生も教職員の道に進んでいますが、それを聞くと相当ハードな職業であることがわかります。

私の頃はそうだった・・・などと言ったら笑われましょうが、高校時代などバットや竹刀をぶん回して威嚇する教師など平気で存在していましたからね。

昨日も本堂にたくさんのウォーキングの方たちが本堂に集まりましたが、まず小学生たちが数少ない椅子に座って大人たちは畳の上。大いに違和感ありましたしその物言いを聞いていると私が教師だったら・・・ブン殴ってやりたい・・・という衝動に駆られるかもしれません。人間ですからね。

 

息子も私も坊さんでよかった・・・おかげさまです。とてもではありませんが教育者としてやっていく自信はありませんね。

父親は教師時代によくもまぁ問題を起こさなかったか・・・敬服します。あの当時は別格なのでしょうね。

バンバン、ブン殴って拳骨平手打ちなどどちらの教師も日常茶飯事でした。

 

ということで保育士、教師の職場環境はモンスターペアレントの出現もあって精神的にも劣悪、その職へのなり手の不足が顕わになりそう。

保育士がいなければ(子をあずける場所がなければ)仕事にも行けなくなりますのであまりに彼らに罰を試みれば日本の将来の首を絞めることになりかねないのでは。

「誰が罵られてまでして人様の子の面倒を見るか・・・」とね。

私の子供がその職に就くと言いだしたとしたら「やめておけ」と一言。再検討を促します。責任が重大すぎるというところもありますから。

 

奥方がポロっと。

人を殺した人(あの園長先生)は適当にうまいこと済んで、ゆきすぎた教育的指導を行った者は逮捕されて酷くバッシングされるのだね。やらない(仕事を)のがマシだ・・・と。

 

サッカーの件。

私が思うに既にベスト16ということだけて目標達成の感。

ただし選手も大衆もその上を望むといいます。私など畏れ多くてその「ベスト8」など口に出せない世代ですしあのジャイアントキリングの連発は未だ信じられません。

 

偶然に偶然が重なって(「墓道氏」曰く1/400)トップ通過の栄誉を得たワケですが、次回対戦国はクロアチア。

この国のサッカーは日本人のサッカー好きの中でも特に好みの人は多いはず。

一見してドイツ、スペインを超一流とすればクロアチアはその「超」が取れて「一流」の部類になると思いますが。

華やかさはなくもいわゆるいぶし銀の強さクレバーさというものがありますね。

息子は日本戦関係なくクロアチア一押しでした。

私などモドリッチが「プラトーン」のウィリアム・デフォーに重なって気持ちが傾いてしまいます。苦労人ですからね。

 

「超」のつくチームを立て続けに粉砕した日本チームの思うことは「これはイケる」でしょうね。

もしかしてスペインは勝ち上がってからブラジルに当たらないよう「2位狙いで日本に負けた」ともいいますが、そうであったとすれば今浮れている日本は恥ずかしいのかも。

 

また実は私も一瞬クロアチアには「イケるかも」とは考えてしまいました。

しかしその気持ちが出た時、負けの種を撒いているのですからね。そううまいことが続けていくワケないということも。

 

日本の予選3連敗は私の予想で既にまったくアテになりませんが今度は0-1でクロアチアの勝利を予想します。選手たちの育った土壌の違いからです。

 

またその予想が外れるといいのですが・・・すでに今、奇跡の領域に入っていると思う「過去の発想の人間」でした。

 

さて、聖徳寺はどうこう言いながら中根家の菩提寺でした。

しっかりと中根家の墓域まであって管理者として「中根さん」の建てた新しい墓標まで。この出会いも私にとって感動的でした。

 

「間抜けているな~」と思うのは⑥⑦の看板をチラ見しただけでさっさと先に進んだこと。

しっかり寺や中根の出自、墓の存在まで記してしていました。

 

また元の聖徳寺は現在の川向こうではなく、城側の平地にあったといいます。理由は不詳。