岡崎箱柳を歩く 下箱柳バス停 ここにも淡墨の桜

やはり一日中酷い土砂降り。

一瞬の小降りの時間もありましたが、日が暮れてからがまた酷い。

それでいて昼間はあっちこっちと動き回っていました。

降雨小康のタイミングに恵まれたおかげで私は何とか濡れずに済んだところでしたが、各所でズブ濡れの様を拝見しました。

 

こんな日のトラブルは御免と思っていると、目の前でパトカーに呼び止められる車が・・・、私はそちらに2時間ほど滞留していましたが、その時間が経ってもその取り締まりの件、ずっと引きずっていました。

「別件で何かやらかしたか発覚したか~」とそれを私の隣で眺めている方と雑談。すると挙句の果てにレッカー車が到着。

いやはや皆さん雨中大変。

特に切符を切られてしまった方はとことんドツボにハマった気分でしょうね。

 

想像するに車検証を警察官に確認された際に良からぬことが発覚したということでしょうか。

車検切れ程度ならいいですが、まぁ色々ありましょう。運転手は携帯電話でしきりに、どちらかに連絡をしていました。

 

2時間もその様子を眺めていた場所は当地の整形外科の診療待ち。待合には入らず入口の外側スペースで立ち待ちの際です。

待合室はごった返す人・人・人。

私は医院より、この日以降なら「いつでもイイ」と言われていましたが「この雨なら人少なし」を予想して、GOしてしまいました。しかしなんで整形外科はこんなに混むのでしょう・・・

 

さて、二俣城撤収に天竜川渡河そして三方ヶ原戦で亡くなった「中根」について記しましたが(こちら こちらも) 何より当家の文書「妙意記」記述に対する林氏の推論は注目に値しました。

要は妙意が中根家経由で本多家に入った説ですね。

忠勝の従妹・・・のスジが確定できないところからこれも「有り得る」との推論です。

とはいいながら私はその中根発祥の地といわれる岡崎市の箱柳(元は額田郡箱柳村)をほっつき歩いたのでした。

とりあえず車を降りたのが下箱柳のバス停前のスペース(場所はこちら)。

 

本多家の欠城址、東公園からは北東方向に一山超えたくらいの距離、案外近いです。

しかし岡崎市の中央部とはいえ、山あい感満載の地になります。

近くには石仏が並ぶ山道があるようでしたが、私は遠慮させていただきました。新し目のそれを推測しましたので。

 

下箱柳バス停前には地蔵堂があってまずはそちらにご挨拶。

しかしまぁいつもの石仏への飾り物いろいろ、そののため、それが地蔵なのか何なのかも大小判別は不可。

蓮台に立つ石仏は「新し目」とはいえず、じっくりご対面したいものでしたが諦めました。

その隣には自然石に彫られた六字名号。

そちらにも合掌、阿弥陀の近さを感じたものでした。

妙意の故郷であるとすれば「阿弥陀信仰」は必須ですからね。

 

その隣には箱柳熊野社の祠と淡墨桜の標。

ウスズミの「ウス」を「淡」と記すのは根尾谷の一本桜。

おそらくその古木から採った苗木をこちらで継承しようという試みでしょうね。不詳です・・・

私が三河でその淡墨桜を見たのは2例目でした。

もしそれがお気軽に配布されるとしたら私も手を挙げたいものだと・・・。