「おぞい」一日(昨日)が明けて、朝から青い空が広がっていました。朝から法務で動いていましたので偏に有難し・・・
冒頭ご挨拶には昨晩の「歴史的偉業」について触れました。
「奥の墓道」氏はやはり辛口。「15回に一回くらいの滅多にない出来事」と言っていましたがそれは特別な条件が重なっての僥倖であり「決して有頂天になってはイケない」の心からの願いなのでしょうね。
昔から日本人の「そんな時」の戒めの語がありました。
「勝って甲の緒をしめろ」 (北条氏綱)でしたね。
当家では私が子供の頃から言われ続けてきた語は「お調子にのるな!!」。
お調子者の子を持つ親の警告の言葉でしたが、それは身に染みて承知しているつもり。まぁこの身の経験則からですが、あのような大舞台での大物喰いの直後は往々にして「やらかす」ものというのが歴史の中に生きた者たちの経験から(ビスマルク)。
やはり歴史から学ぶことが必要なのです。
また、ドイツの屈辱的歴史を作ったのでからそれを是非に生かしていただきたいものです。
生かすも殺すも次の出来次第。
さて、浜松三方ヶ原450年展で出会った掛軸に面白いものがありました。
武田信玄像です。
肖像画の類もコピーやカメラが無い時代は文書同様「書写」が当然のこと。
その書写がオリジナルに悪意を込めた酷似があれば偽物(ぎぶつ)と呼ぶものです(刀剣の場合はまず悪意か・・・) 。
こちらの信玄の画像にはその出所についてしっかりと記されています。
兜を脱いで床几に腰かけてリラックスする様子。
武田信玄の弟の信廉(逍遙軒)が描いたものとのことで、高野山成慶院に奉納されたものの写しといいます(山梨県立博物館)。
武田家家紋が各所に見えますが、よくある厳しく勇壮な感じ溢れる信玄の図は頭に描けますが、雰囲気を異にします。
どうやらこの画像こそが本物の信玄に近いようです。
尚、信廉(逍遙軒)は信玄にそっくりだったため信玄亡き後のしば
らく、影武者として信玄の代わりをつとめたといいます。
その件「黒澤」のあの映画の元ネタになったかと。
しかしそれはやはり信玄の偽物。
結構に騙されてしまったようですが。
最後の画像は家康像。
江戸期の物ですから模写の模写の模写・・・など考えられるところ。よって家康像はどちらも殆どが似ているのです。ただしこの像は少々若づくり(妙恩寺蔵)。
コメントをお書きください