境内で墓参の方と雑談。
私の息子もかつて御当家の法要に参加したことがありました。
葬祭関係に詳しい方で、先日見た坊さんが経机の前に広げた複数の経典をあれこれと「どれにしようかな~」の如くの間があったのちに一つの経本を取って読経がようやく始まったそうで「それってどうなってるの?」との質問が。
当流というか私の場合は通夜も葬儀も繰り上げ初七日も拝読するものは決まっていますのでそれぞれただの1つの経典を広げるのみです。よってその意図といえば各法縁にバリエーションがあるということでしょうかね。
「家の軽重」によって拝読する経典を変える・・・などあればその「どれにしようかな~」はあるかも知れません。それにしても事前に決めておけばいい話。
東京ルールで時間制限は絶対条件ですので、御文の拝読とご挨拶(法話)の時間は譲れませんから、繰り上げ初七日の際、余裕が無ければ相良では普通に拝読される阿弥陀経に代わって嘆佛偈にすることはあります。
一同御参集があれば早めに開式することがありますが、葬儀ともなれば本山発行の葬儀式用の「葬儀中陰 勤行集」の1冊でOK。よってその時に経典を選択するということはありませんね。
それはひょっとして「どうしていいかわからない・・・」の偽僧侶の戸惑いの可能性を指摘されていましたがやはり厳粛儀式に於ける僧侶への不信発生は避けたいところ。
「やっぱりいるのかなぁ~」でした。
先日の息子やら葬儀社の方の話を織り交ぜました。
ニセ坊主は案外いるようですよ~。
「しかしそれ、御前が言うか?」の私の風体を見て感じられていることは必定のこと。
私の方から「初対面なら私も息子も十分に怪しいでしょ?」とぶっちやけると「そうそう!!」でした。
以前、奥方が食生活含めてケアを怠ると「頭髪が薄くなる」と指摘したところ、「剃るからOK」と。さすが都会の真宗の若い僧侶。髪があることに逆にプレッシャーを受けているようでした。まだまだ甘いようですね。
私が彼ぐらいの時に本山研修の同部屋の九州の寺の若者は茶髪・ロン毛・ピアスの出で立ちで正信偈を拝読していました。
講師は何ら指摘することもなく、ごく普通に過ごしていましたがそれが浄土真宗。
「らしい、らしくない」の一瞥判断はナイのでした。
さて、「三河後風土記 正説大全」については先日記しました。この書籍は翻刻版で手元に置いてとても見やすいのは有難いのですがそもそもこの原本、「古文書」の性質を発揮してくれています。
叔父も言っていましたが古文書は書写を重ねて遺すので「伝言ゲ-ムの如し」ということで相当数の誤りとおそらく書写者の推察混入のところも見受けられて、時代が下っていけばかなりおかしなところが出てきます。
まず大抵、今ある古文書の類は書写によって遺されていますからそれこそが古文書そのものの性質となりますね。
先日も成瀬藤蔵の名がオカシイの件記しましたが①「天瀧川合戦本多忠勝武勇付二股落城并松平清吉宇津の山を守る事」を。
宇津山城代の松平清善の清吉記述違いに①の最後から3行目「成瀬吉右衛門」の名の誤りについてはありがちにつき「まぁいいか」のレベルですが②の右ページ後ろから5行目の
「斯て信玄は、中根平左衛門正照 青木又四郎貞治等両人に下知して~」の記述はまたオカシイ・・・青木の吉継が貞治というのも同様ですが、そもそも中根と青木は二俣城籠城方、徳川配下の武将で「信玄の下知」は意味不明に陥るところ。
明らかな誤りと言っていいでしょう。
「伝言ゲーム」ならでは・・・ですね。
③~⑤は二俣城近くの清瀧寺の信康墓域の図。
10数年前の画像です。
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