参河後風土記巻13 新井本坂合戦 鳥居と成瀬

おかげさまで穏やかな晴れ間が続きます。

報恩講の準備から片付けまでずっと好天続きで、うまく回りました。幕も提灯も、焼き芋用のドラム缶も風雨に晒したくありませんのでそのタイミング、恩恵を目いっぱいに享受した思いです。

 

昨日はスコップを駆使して排水溝の清掃。

草ぼうぼうの奥の排水溝には植物が根を張って水流を止めていましたのでそれらの撤去作業を行いました。

散々盛夏には悩まされた蚊どもの襲来は僅か、気温は20℃、快適な環境下、作業が捗りました。

 

私のスコップ駆使の件、サイズ、形状を変えての作業となりますが、ウクライナに派兵されたロシア兵が30名に1本の割合でしかスコップが支給されず、手掘りで塹壕堀りをしている作業中に500余名が死したとありましたが何とも耳を疑うようなニュースでした。

 

奥方が私に、大小合わせて「一人で10本以上!!」。あっちこっち散らかして放置されたままになっているスコップを指摘して、「何本か貸してやれ」と。

ロシアの戦争を見ていると以前の南方に進軍した日本軍のよう、システム、指導者がイカれているとしか言いようがなし。

 

さて、昨日の拙寺三代目祐傳の母妙意について記しましたが、林氏の記述に「三河後風土記正説大全」がありました。

それは「参(三)河後風土記」(デジタルライブラリー)の45巻本を、50巻に編集し直したものといいます。

 

その原本の「参河後風土記」から。巻13の12/85~14/85をカ 

ット。

 

「三方ヶ原」の地名ではなく「新井本坂合戦」との記述。

鳥居と成瀬の討死の件が。