正念寺近く 廃寺跡らしき墓域の石塔

先日はネコちゃんの「生生流転」の墓への埋葬ミニ法要を行いました。

まずは堂内ご本尊前に遺骨と写真を鎮座させ、ご家族と正信偈の拝読です。

そして納骨時も焼香と短い偈の拝読。

 

簡衣・輪袈裟をポロシャツ・トレパンの上に、といった形で装束こそ普通の法要との違いはありますが、以前のペットの「臨終後のこと」とは変わりに変わったものです。

現代はネコもイヌもペットたちは「家族」いやそれ以上の存在に地位は「躍進」していますから。

 

しかし、また「正信偈-正信念仏偈」は当流第一の経典であって「さすがにペットにはいかがと思う・・・」などの意見がありそうです。

まぁその辺り、父の代は確実にその風がありましたが、そもそも真宗には(人もペットも)供養という概念はナシ(→歎異抄)。

その経典「正信偈」の拝読の意味は最愛の家族を亡くした一同とその死を機縁として、自らの命を感謝と反省のこころをもって讃嘆称名することですから。

私のその意図はそこです。

少なくともその参列者(その際は家族3名でした)と私で正信偈が拝読できたのですからそれこそ「その家族の一員」がもたらした有難い機縁です。

 

先方から「本来はいつごろまでに納骨するのがベスト?」との質問がありました。

私は「いつでも・・・」。

というのはどちら様でも遺骨をそのまま自宅に置いておくというお宅も増えていますし当流には「49日に納骨しなさい」などいう掟もありませんから。

 

すると「49日にこだわりたかった」のは「そうすることによって成仏ができる」と。

私はハッとしましたね。その「成仏」の語はいたって新鮮に感じました。

ペットたちも諸仏として考える・・・。仏性がある・・・です。

これからの坊さんの立場として大いに心に置かねばならぬことと承知しました。

 

まぁ、最近の流行りもので、私には到底理解困難でその心理、意図が見えない、不明な徒党として映ってしまうハロウィンとかいうおバカそうな騒ぎの件。

群衆の中に混在する私(大きな社会の中ではそうあるといわれても致し方ありませんが)。

一個として纏めてザルで一掬いされるような群れの中の一員にわざわざ進んで紛れるなど・・・呆れて物も言えないことであって私からすれば正気の沙汰ではありません。

 

老化しつつある我が心身には困惑と甚だしい無意味を感じざるを得ないことの一つです。

個を主張する若者の存在に敬意を払いつつ、それでいて群衆の中に紛れ、それに流されるという大矛盾の心理は一体何なの?

 

年がら年じゅう「仮装」と揶揄されることの多い私ですが・・・

「ゴッドファーザー」などもそうですが映画の中の殺し屋は神父や警察官色々、コスプレ変装で相手を油断させるもの、そしてそれがまたマッチするのでした。

 

私の場合は「違和感しかない」とのことでその真逆であると。

「お前さんが渋谷をその黒衣のまんまで歩いてみたら・・・」というのが奥方がテレビを観ての弁。

 

さて、三河西尾に戻ります。

先日記した正念寺でしたがその門前の通りを少し先に行ったところに古式ゆかしい石塔残欠がありました。

一見してその大きさからタダモノではない風を感じます。

そして近くには卵塔(無縫塔)が並んでいます。

その石塔の類はまず真宗系ではない寺院の存在とその墓域であることが推測されるのですが、今は周囲にそれらしき伽藍は見えません(場所はこちら)。

 

堂は解体されたのでしょうか更地にされて、移動と処理に関してどうにもならない墓地・墓石がそのままにされているといった図だと思います。

全国的に墓地だけポツンとある場所など各ありますが、かつて寺があったことを物語っているのかも。

ただし堂と墓域を別にしたり、お寺が管理していない区の墓地単体という場合もありますから、断定はできませんが。

 

ざっと10基の無縫塔が見えましたが寺の継承が少なくとも10代以上続いた寺だったかと推測します。

単純に一代30年として、こちらに300年は続いていた寺があってある日姿を消したということかも。

この名もなき墓石たちの前に佇んで、やはり「無常」を感じた次第。

人は(歴史の)群衆を構成する、一掬いの網の中に存在する「個」か。

「故人」と変わればあとは時間とともに忘れ去られるだけ・・・。

 

せめて徒党となり烏合の衆となって、集団の中でその流れに身を任せるような行動、生き方は避けたいものです。

流行りもの、模倣、真似そして勢いというものに楽しみを見つける刹那の生き方を全否定するわけではありませんが、無常な力に背中を押されて無我夢中に陥るというのは私にとってどうにも性に合わないことです。