あの台風が静岡県内に思わぬ被害をもたらして1カ月。
昨日は県内でも一番に被害を被ったであろう清水区で浸水した店舗がボランティアの力を借りながらなんとか再建オープンしたというニュースが報じられていました。
改装に「700万円の出費」があったといいますから、大変な突発出費。
そしてやむなく廃業に追い込まれるようなケースが他にあったことがうかがわれます。
飲食店で汚泥にまみれれば厨房用品、什器ひと揃えの入れ替えに加えて店舗内にその痕跡は残せるはずもなく、大層な出費に繋がるわけで、次の同じような浸水が無いという確証がない中、再びその地での稼働について当然に疑問を感じることになりましょう。
事業の継続性あるいは定住・安住を根底に考えれば、地形と古くからの災害の有無の検証は絶対条件になるでしょうね。
私どもの如く(寺・・・)とは違って機敏にそれを変更できる方たちは当然のことでしょうね。
あれだけ断水による生活用水不足で困った清水区では緊急時に使用されるはずの100トン貯水槽の一基が使用されなかった問題が浮上していました。
理由は住民がその存在を「知らなかった」からだそうですが、大金をはたいて作った貯水槽が今こそ使用するべきという今回、まったく見向きもされなかった・・・おかしな話です。
昨ブログにて記した清水の方とのお話にありましたが、「あの給水車の行列に並ぶのは結構辛い」とのことでしたが、そういった水が開放されればいくらかの助けになったはずでしょうし。
また、その台風の際、記者団から「市長は何故に自衛隊の出動を早く依頼しなかったの?」という質問がありましたが市長は「知事の携帯番号を知らなかったから」とその理屈を述べていました。それもまたおかしな話です。
静岡市、お粗末なことで。もっと違う理由を探せばよかったのに・・・「トモダチじゃないから・・・」の如く、ガキか・・・
市長選があるようですが「投げた」感ありますね。
さて、錦織寺の一番の驚きは毘沙門天を祀る堂の存在(先日)。
当流で本堂(阿弥陀堂)以外で考えられる堂といえば太子堂。
余程のスケールのお寺でしたら祖師堂などもありそうですが、私が当初こちらにお邪魔した際、そちら天安堂と毘沙門天には仰天したほどです。
ちなみに天安堂の天安とは857~859年の元号。
毘沙門天の修復中にその体内よりそれを判明させる木札が出ているといいます。伝承通りだということですが。
慈覚大師(遣唐使 円仁 天台座主)が「江州野洲の郡に 一夜に松が生えているところがある。そこへ私を移して欲しい」 という毘沙門天王の夢告によって堂を建てたことが地名「木辺」→「木部」となったとのこと。
やはり「松」がらみでした。
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