古書の博物館 西尾市岩瀬文庫は岩瀬弥助から

先日榛原在住の方との会話の中で「うちも同年代の園児がいる・・・」とあの事件(川崎幼稚園の悲劇)の報を知った際は食事もまともに喉を通らなかったと。

子の父母とは同世代で彼の友人にはあのお父さんのことを良く知っている人もいるとのこと。

 

そして問題提起したあのドライバー兼理事長(当時)さん、当初の記者会見であたかもピンチヒッターであって、通園バスのハンドルを握ることは「滅多にない」くらいのことを言っていたことに「かなりの違和感がある」と。

なぜならあの人の運転するバスを「幾度も見かけた」といいます。地元では結構にその運転を目撃されていたわけで。

保身のために人は思い付きの「でまかせ」を並べるものなのですね。

 

統一教会ズブズブの例の「瀬戸際大臣」とやらの御仁は別名「後出し大臣」などとも揶揄されていますが、その発言の内容は「信用のならない人種」の雰囲気を醸し出すばかり。

ウソを承知で適当なことを言うか、不都合な件、ダンマリお惚けを決め込んでもし指摘されたとしたら「ハイ、そーでした」。

これからもその「指摘されての追認、あるかも・・・」の開き直り、さすが「後出し」と命名されるだけありますね。感服です。

どっちが見苦しいか・・・といえば断然後者の政治屋の方なのですが、あまりにも身近すぎて前者の爺様とその背景組織により腹が立つ。

 

さて、この夏、石川台嶺展(前後2回開催)に赴いたのですが、あの岩瀬文庫は別名を「古書の博物館」と呼ばれていて、私も史料をあたっていてこちらの文庫に行き当たること多々。所有する遺物として先日記した百万塔など古書に限りませんね(コレクション)。

 

コレクターと言ってしまったらいかにも軽いのですが、それらを収集した方がその名岩瀬文庫の通り「岩瀬弥吉」と言う人。

稼業が成功したが故の文庫の設立だったわけですが彼も一応は政治の世界に足を踏み入れていますね。

地区の名士たるもの、周囲からイケイケと尻を叩かれ背中を押されることは必定、西尾の町長にまでなっています。

1年と少々でその職に別れを告げてその文庫の構想に至ったといいますからきっとその世界にうんざりしたのではないでしょうかね。

 

西尾の文化的功労のある偉人です。

こういう人が出るという土壌も好きですね。三河という地。