鼓楼の存在に本證寺を連想 円光寺

堂内も庫裏も扇風機は撤去あるいはその配線を片付けていましたが、昨日の当地は殆ど夏の再来の感。

夜間もその暑さに耐えていましたが、さすがに風呂からあがってすぐ、我慢は限界に達して扇風機を再び持ち出しスイッチを入れている私がいました。

いずれにせよ予報では次の雨天を境界に「冬が来る」といいますので、来る寒波への心構えが肝心になりますね。

また寒暖差は体調不良のきっかけ、油断禁物。

昨日の好天気温上昇は誤差の範囲、自然の気まぐれということで。

もっともその気まぐれで我ら人間は毎度酷い目に遭っているのですが。

 

昨日はコロナ感染社会が鎮静が窺えるようなご時節、今節報恩講の開催について堂内にて世話人会が開催されました。

「もういいだろう・・・」と勝手に判断して「皆さんで御唱和どうぞ・・・」とばかりに正信偈から。

さすがに声は小さ目でしたが「声出しOK」は2年半振りでしょうか。

 

コロナと冬といえば今云われている事に「脳梗塞(心筋梗塞)注意」がありますね。

コロナ関係なく冬場のそれら疾患の発症はつきものですが、コロナ感染後に治癒した方も治療進行中の方もその血管系の疾患の確率は高いようです。

感染後の方はそもそも血管内部が荒らされていて修復未達の場合、それら損傷個所に悪いモノが引っかかって蓄積してしまうということと、治療中の方といえばそもそもコロナが血栓を作りやすいという性質からその発症が高率になるようです。

 

血管内部に血栓やらなんやらがつまりやすい体質に変化しているところに急激な温度変化によって血圧が急上昇して水道ホースが破裂するが如く、体内に血液が溢れ出るということになるというメカニズム。

そういうことから私は最近になっていつも「冬場は試練」であって春の陽気を迎えることこそが仕合わせであると感じるようになりました。

どなたかの試算によると来年早々にはコロナ8波のピークが訪れるという予想がありますのでその都合良さげな私のコロナ鎮静と終息の件まだまだ我らの儚き夢なのかも知れません。

 

さて、昨日の円光寺。

何といっても本證寺と城をも彷彿とさせるその鼓楼の雄姿。

それもそのはず野寺の本證寺は遠くない位置関係(場所はこちら)にあって三河の一向一揆の際はこの寺の14代順正は本證寺

誓(蓮如さんの孫とも)の下で家康方と奮戦して討死しています。

 

創建の歴史の古い寺ですが、親鸞さんの三河逗留の際に天台から真宗に改宗、その後歴代のうち吉崎御坊にいた蓮如さんとの交流が深かった住職(10代順智)もいらしたとのこと。

一揆にて亡くなった住職ほか多くの門徒の墓標としてあの松(昨日)が再建後の寺境内に植えられたのだと考えました。

山号は形谷山(かたやさん)。