荒川義広父子の墓か 西尾寄近法厳尼寺

 プーチンが威信をかけて建造したクリミア半島との架け橋が壊されて余程カッカしたのでしょう、その仕返しとも思えるミサイルをウクライナの首都に打ち込んでいました。

またそれを今後エスカレートさせるとプーチンが言ってましたが・・・。

「そんなもんだな~」と思いながらの「やれやれ感」は当事国それぞれのコメント。

ウクライナはロシアのテロと断言し、ロシアはウクライナのテロと言い放っていました。

双方で相手方を「テロリスト」との罵り合い。

 

ということでその言葉の意味が以前のモノとは違ってきてしまったような。

要はその語は単なる敵対者(人為的損傷を伴う)あるいは都合の悪いことをする人・国に対する罵り言葉としての変遷です。

 

それぞれの国民の悲惨と厭戦の「落しどころ」として「それならば仕方ないね・・・」への誘因手段。

「対テロ」と称すればおカネを使って戦争道具を調達し、国民を戦場に出向かせ、喩えそこでたくさんの悲劇が発生しても「納得して承認すべき」という一つの「建前」とするお手軽用語化です。

これから国レベルで「あの国はテロリスト国家だから・・・」のレッテル貼りから始まるその語を駆使したいろいろについて注意しておく必要がありますね。

 

悪辣宗教への警戒フレーズとしては拙ブログでも毎度記している通り、「幸福」や「幸せ」の語の吹聴でしょう。その反対のイメージ投与の語は「地獄」。

彼らはやたらとそれらを振りかざすよう。

最近は「家庭」など、よりほのぼのした語彙を使用するようでもありますが。いずれにしろ「シバリ」のいろいろを提案するというのも常。お気をつけを。特に子供たちに。

 

さて、私も各地でカメラを首に下げてうろつけば現地の方々から、よそ者、違和感を強く思わせることは必定。

一カ所で2度3度とパトカーとすれ違って「ああ、通報されたのだな・・・」などと感じること多々あります。

墓や石仏、城址などを目当てに彷徨っているなどなかなか理解に至らないことかも知れません。

城址などかつてのその存在すらご存じない地元民もいらして、住宅地の高低差などその推測しかできないものを撮影などしていればひょっとしてプライバシーの侵害-盗撮だとかストーカーの如くの流行りものと思われても仕方がありません。

 

博物館にて警備の方のチェックの目はいつものこと。

それは「怪しさを醸し出している風体だから」だとのことですが以前私がたまたま立ち寄ったお寺での件は、あとから考えて「良くなかった」と反省したことがあります。

 

それが西尾の法厳尼寺(場所はこちら)。

「尼寺」だったわけですがその名は耳にしていても自身その類のお寺への訪問は初めての事。

というか私はたまたまその時、幸田から西尾の中心西尾城方向に向かおうと広田川を渡り続けざまに安藤川、矢作古川を越えるのですが、その矢作古川に架かる古川橋を走っている際に右手に目が入った寺に「ちょっと寄り道」と立ち寄ったのでした。

 

駐車場に車を停めると近くに「作業中」を思う女性と会釈。

境内に入って「おおこれは・・・」などと独りでざっと撮影。

特に古そうで大きな宝篋印塔のベースと隅飾りの石塔残欠の様を楽しんでから、「まだその奥にもあるのかも・・・」という気分で塀の向こう側を覗いてしまいました。

するとその作業をしていた女性がすっ飛んできて、「何を撮影?」と。

失礼をしてしまいましたね。

元気に「墓ですが・・・」と私は返しましたが怪訝な顔は変わらず。

墓石の掲示板の→には「荒川氏と中神氏の墓」とあるだけでその→の意味が分かりませんでしたから「その奥はどうなってるのかな~」でした。

 

そして外部の看板を改めて見て、そちらが「尼寺」であったことに気が付いたのでした。

先方の感覚からして私は「不審者」。

その警戒、監視の「声かけ」は当然の事でした。

 

⑤~⑧が荒川義広の墓と伝わる宝篋印塔。上部に五輪塔の残欠が乗っかっています。

彼の墓は周辺にその伝承があって私の「参河志」(第31巻墳墓部)下巻P391 幡豆郡寄近村には

「荒川殿墓 寄近に同名墓験松あり 荒川父子の墓なるべし

親を荒川甲斐守頼持 子も同甲斐守義虎と號す」

尚、八面村の真成寺には「荒川甲斐守義等墓 同人有三名義等義廣頼持等也」

「法名仙淋院前甲州太守花山洞榮大禅定門 

永禄九丙寅五月廿二日卒」とありますが、没年まちまちで歴史の中の混同と誤認があるのでしょうね。

 

石塔としては不完全なものですがいい出会いがありました。

⑨の碑面に現れた地蔵と阿弥陀像も珍しき姿。

⑩はいつもの結界「ゆるしません!!」の標。

本尊は阿弥陀さんですが・・・

 

私はいつも大抵・・・ゆるされていことを了解しています。