息子も義母も神奈川県在住ですが夕方にはどちらも電気ストーブを引っ張り出したとのこと。
当地も気温が下がりましたが朝方のエンジェルス最終試合を視ている際は扇風機を回していたくらいでその200㎞の差からくる季節感の違いはかなり意外でした。静岡は暖かいを再認識したところ。夜間も庫裏は24℃で半袖で過ごしました。
さすがに睡眠時はトレーナーを着ることにします。
先日NHKの番組で「史上最大の宇宙望遠鏡 ジェイムズ・ウェッブ始動!」を視聴しました。
①画像はその宙望遠鏡が撮影した「SMACS J0723.3–7327」なる銀河団の図で、その世界では有名な場所にあるとのこと。
今年の7月に公開されたものですが,とびうお座の方向へ約46億光年離れている場所にあるとのこと。
何もかもまったく想像もつかない環境・・・
以前のハッブル望遠鏡で撮影されたものと比較、格段の解像度に思わず「ホントかよ~」の溜息。
それにしてもキレイで不思議、キツネに摘ままれたような気になります。未だ半信半疑ですが・・・・
その感激のあまり私のPCモニターの背景画像をこちらに変更したところで、当分はコレで行こうと思っています。
尚、それまでは海王星の「青」一色の画像でしたが・・・。
私の如く一般人にはあまりにも荒唐無稽の絵空事の如くのお話ですがそれが却って面白い。
46億光年といえば、今私の目に入っているこの銀河集団の光の画像こそ46億年前のものであるということになります。よって、そのような気の遠くなるような大昔のこともそうですがその時の様子がまさに「今」私の目で見ることができることも感動の一つですね。
ハッブル宇宙望遠鏡に比して軽量化したものの感度100倍を誇るその望遠鏡(口径6.5m)をロケットに詰め込めないことから18分割にしたレンズやら遮光版を折りたたむなどして打ち上げたとのこと。望遠鏡として実稼働できるまでの組み上げ調整は現地(地球から150万㎞離れた)で行われたことの苦労話いろいろの番組でした。
操作等、人が行って組み上げるのではなく、すべて地球からの指令で行われますが「そんなことがよくもまぁできるものだ・・・」と感心しまくり。
さて、私の名は祖父によるもので、一般的に「光が一年かかって到達できる距離」のことですがその意は少々違って浄土三部経の一つ、観無量寿経に頻発するフレーズから持ってきたものです。
それとはまた違って仏教には「劫」というやはり気が遠くなるような単位があり「一劫」(×億だと「億劫」~おっくう~)なども連想できるところですが、さすがに分かりずらいですからね。
余談ですが阿弥陀さんは「五劫」の間「思惟」(五劫思惟)したという中、我々はちっとばかり何かを着手するにあたり、その語「億劫」のボヤキを吐き散らかしがち。
ちっぽけな人間の割にどれだけ「スケールがデカい」のでしょう。
まさに頭の中は宇宙空間。
その「距離」についてテーマとしたお話が先日記した「三河の七三郎」でしたね。
阿弥陀のおはします西方極楽浄土の距離の件、白隠に問われた七三郎は経典(阿弥陀経②)の通り「従是西方 過十万憶佛土」を引っ張って応えます。
その返答を待ち構えていた白隠は「(それじゃあイザの時)間に合わない・・・」と指摘。
実は当時他流から「門徒もの知らず」を揶揄するに一番にやり込めたいと思われたところがその距離のこと。
阿弥陀経の「無茶苦茶に遠い」に対してやはり阿弥陀経と並んで拝読される浄土三部経の一つ「観無量寿経」の件を並べ立ててその大矛盾について「一体どうなんだ!!」と突こうというのがそのパターンでした。
それが③「阿弥陀佛 去此不遠」を論拠とします。
「遠くない」場所であると記していますね。
その件は筋金の入った念仏者にとってそれはどうでもいいことなのですね。
壮大な阿弥陀ストーリーの中の一つのエピソードではありますが、その超遠距離であっても念仏一つで我が身に宿るという思想であるとも言えますから。
また御開祖親鸞さんの御臨末御書の通り
「和歌の浦曲の片男浪の 寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ」
寄せかける波打ち際をイメージさせるほどそれを身近なものとして説明しています。
いわゆる寄せかける「波」の如く浄土と現生を行き来するといった言葉で示していますね。
ということで他流の方たちが指摘される距離感はまったく問題にしていないのでした。
まぁ「遠い」と思う人には「遠い」、それでまったくOK。
「私の胸の内」と思う人が念仏者。ただそこに違いがあるのみです。
「十万億佛土」は「十万×億」は分かりますが、では「一佛土」の距離はどれくらい?というのも庶民の単純なギモン。
それを真面目に計算された学者がいらしたようでそれが
「十京光年」だといいます。
よく理解できていませんがそれが1億年の10億倍とのこと。
その驚異的距離を念仏者の念仏一つで「スグそこ」(観無量寿経)にしてしまうわけであり親鸞さんからすれば「寄せかける波」の如くと・・・
わからない人にはわからない。
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