昨日記した無常(不条理)への「人」の思い①「何故」②「私が」③「こんな目に」④「遭わなくてはならない」の愚痴について。
ありがち・・・というか私など以前から「まぁ、そんなもの」といったレベルですからね。
しかし、それをどう受け入れるかで精神衛生上の良しあしの違いが出てくるというもの。
それが「当たり前」と苦笑いして受け流せるか、毎度思いつくまま悔恨と愚痴を繰り返して日々過ごすかの違いでしょうか。
いわゆる、あるべき慙愧の念とは違いますからね。
その手の思いは何かその原因を他に向けて私の心を治めたいという気持ちの表れでもあります。
しかし、そもそも人間の「生」とは仏教的な思索「無常・一切皆苦」ですのでそこのところに疑問を抱いて時に悩んだとしてもそれこそが「本質」ですのでまったくその方向は詮なきことでしょう。
この世のことはすべてその(無常)通りに進み私たちはその大波小波の中で揉まれながら生かされているといったところでしょうか。よって、たまたま生じた僥倖も、目いっぱい不都合と思われる事も、すべてを受け入れなくてはならないのでした。
しかしながらその不条理について、無慈悲でまた慟哭を招くような悲劇の結末があれば感情的、心が動かされるというのが人間ですね。
その衝動も自然界の天変地異を除いて、大抵の事は自らと近親者の生老病死の感覚とは違う、人同士の間で発生する故意、過失、そして争いでしょうかね。
その最たるものが国家間の戦争ということになりますが、それこそが人間界の代表的不条理です。
愚かの一語ですが同じことの繰り返しをやらかしているのが人間の歴史でした。
昨晩はNHKのBS「ヒトラーvs.スターリン」という両独裁者にスポットをあてた戦争ドキュメンタリーの再放送を視聴。
その両者とも自らの栄誉と主義のために「大量殺戮」を行ったその時期限定の「英雄」だったわけですね。
その末期と言えば「病と老」の人そのものの性と狂気が匂ってきますし、そして共通するものといえば自国民にとっても「忌まわしい存在」として歴史に残ったということですね。
お決まりのパターン一部同調者からホイホイされてたまたま栄華を誇れば「滅びる」の例を示していました。
今、世界にその不条理感を撒き散らかしているプーチンはそのソビエトの栄華を再び・・・という具合にその本性正体野心を現したのでしょうか。
やはり歳もそこそこ重ねてくると往々にして無茶をやらかす(暴走する)ものか・・・とも思わされます。
叔父も「そろそろ暴走する時節」であると自らを戒める言葉を示していました。
狂気に走るかも知れない、大きなミスをやらかすかも知れないという恐怖ですね。私もそろそろ・・・と応えたことは言うまでもないこと。
貪らず愚痴らず怒らずそして争わず・・・その自戒は宗旨に「戒」がないからこそ必要です。
何故ならば①の「何故」の理由を無常以外に挙げるとすれば何より(他の者、他の外力よりも)「私が一番イカれている」からでしょうね。
それだからこそ如来の手が差し伸べられるのですが。
ただし、私そのものが「毒」(三毒・・・貪欲・瞋恚・愚痴)の塊であることは頭に入れておくべきですね。
その番組を視聴して思うことが多々ありました。
映画の件ですね。
そのご両名(ヒトラーとスターリン)のライバル同士は世界中をひっくり返らんばかりに驚かした独ソ不可侵条約を結んで突然の盟約同志に。
当時の日本でも首相だった平沼騏一郎が「欧州の天地は複雑怪奇」といいながら総辞職するなど有名な事件でした。
その同盟はヒトラーのスターリンを動かさないための詐術だったわけです。スターリンが騙された・・・
西部戦線を早々に占領鎮圧してから、これなら「イケる」と思ったヒトラーがソビエトに侵攻を始める(バルバロッサ作戦)というものです。
その主たる方向は三方面に。
北はスターリングラードから中部、そして現在のウクライナの東部戦線ですね。
その東部戦線の目的はヒトラーはその穀倉地帯、食料の確保とその地のユダヤ人の絶滅でした。
まさにウクライナは戦争と憎悪と悲しみの集積する場(ソフィアローレンの「ひまわり」)でした。歴史的にも毎度のことのような。
そして記録映画「バビ・ヤール」(22年9月24日公開)の件。
ドイツの侵攻によってソビエトからの解放を歓んだウクライナの人々は、そのヒトラーの政策にのっとってユダヤ人狩りを行いキエフの北にあるバビ・ヤール渓谷で大虐殺を行ったという隠れた歴史がありました。
2日間で33,771名のユダヤ人を集めて射殺したといいます。
現在ロシア軍がウクライナ侵攻で行った大量虐殺について「戦争犯罪」として大なる声をあげていますが、そのウクライナではかつてホロコーストの加害者として手を貸していたのでした。
ウクライナ国内からはあまり都合よくない史実であって今それを上映すべきものではナイとその映像公開には批判も出ているようですが、事実は事実。
見て聞いていかなくては「人の行い」の真実がわからない。
人間社会というものはその流れに乗って(乗せられれば)「何でもヤル」・・・「さるべき業縁のもよおせば いかなる振る舞いもすべし」(歎異抄)ということですね。
ちなみにその「バビ・ヤール」なる映画の監督がスターリン死後のソ連を描いた「国葬」の監督でした。
さて、画像は一昨晩のテレ朝のクイズ番組からのカット。
「裁判所の地図記号の由来は?」という問題がありました。
番組放映前に製作会社から寺に連絡があってその問題を出すにあたって正解サンプルとして拙ブログから画像を拝借したい旨の依頼でした。
以前にも同局のクイズ番組で同じ依頼があって「どうぞご自由に おまかせしま~す」と返答したことがありましたが、放映したものからのコピーは具合が悪い(画像劣化)ということか他の画像もタノムとのことで電話とメールで数回やり取りしました。
勿論今回も「どうぞご自由に~」。
私が撮影はしましたが私が作った高札でもなし。
それにしても復元高札が掲げられている場所は都内近郊にもたくさんあるわけで・・・まぁネット上から引っ張ってくればお手軽ではありますがね。
また1カット数秒の画像の放映だけであれだけの段取りを踏むとは・・・恐れ入りました(企画書まで送付されていました)。
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