一夜明けて市内各所であの竜巻らしき風被害の状況が報じられていました。
驚かされたこと多々ありましたが特に度肝を抜かされたのは拙寺近隣、小堤山公園で撮影された画像の件。
暴風の真っ只中という状況を映し出していましたが、そちらから目と鼻の先にある拙寺にいる私どもには、その時、雨音すら聞こえずにごく普通、のんびりと過ごしていましたので。
あの時の証言として「ゴーという」などの表現がある中、拙寺は無風。
それらが竜巻だったにしろ、同時に数個が発生していたという説もあってどちらから来てどちらに向かったかかなどはよくわかっていませんが、南からの温かい空気が、それまでこの地域にあった比較的湿気ある低温の空気に当たって回転と上昇が始まったいうところでしょうが、この小堤山公園は東側よりも南側御前崎方向に開いているような削平地形で、その風の流れは拙寺方向よりも昨日記した郵便局方向に進むと勝手に決めつけました。
それ以外だったら・・・すぐ西側の小堤山南の丘陵・・・そして阿弥陀さんの差配・・・により寺は守られている・・・
いずれにしろ結果オーライ、自分勝手の説でした。
ただし、かつみ食堂の店主は「相良高校方向から来た」説を展開。
要は北東方向から色々なものが飛んできたということですが、アレはぐるぐると洗濯機の如く回っていますから飛んできたモノのその方角と進路は関係ないようにも感じます。
勝間田ではコンテナが飛んできて玄関が壊れた家がありましたが、その手の物が人に直撃したら大惨事になるところ。
竜巻などいうものがそれほど身近な存在であったというのが驚きです。
それまでその手の被害は聞いたことがなかったのですが。
やはり地球は壊れかかっているのでしょうかね。
さて、法蔵寺に戻ります。
何といっても法蔵寺といえば松平廣忠ほか御一同そして三方原戦没者の墓域(またはこちら こちら)でしたが境内を近藤勇の首塚の案内の通りに進んでその階段を上がらずにその階段の左手、宝篋印塔の隅飾りのある五輪塔(パーツMIX?)を中心にした板碑の連なる墓域がありました。
卵塔も見えますので古くからお寺に関わった方々の墓石ではないでしょうか。不詳です。
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