あの川崎幼稚園の最悪なる悲劇は昨日の7時のNHKニュースでもトップ扱い。各局も同様でした。
日本国中大きなインパクトをもたらしました。
無様な管理システムの露呈は歯がゆくもあり、一市民として謝りたくなります。
あまりにも「お粗末」ということか幼稚園を管轄する市役所にも全国から怒りの電話やメールが500件以上入っているといいます。
役場ではその対応に時間を割いててんやわんやでしょうね。
最近は市長まで前面に出てきて対応策のコメントを述べるようになっています。収拾がつかないという感。
気の毒な女の子の死とその両親の苦痛が近くにあって、私が日々暑いだの(蚊に刺されて)痒いだのとボヤくのもはばかれるようにも感じます。
3歳の子が見殺しになって私のような棺桶に片足を突っ込んだような暇人が日々生かされながら文句を垂れ流しているのですからね。
また、やはりお葬式はどうなるのだろう・・・とも思うところ。
きっとたくさんの方たちが見えるでしょうね。大変な事です。
私どもは本堂で手を合わさせていただきましたが・・・。
ゆくゆくそれら情報は入ってくるのでしょう。
世の中は今「本物の国葬」(エリザベス女王の逝去)なる語が飛び交っています。
「本物の~」というからには逆に「ニセの~」があるわけでしょう? きっとそれはアレのことでしょうね。
やはりアレはみっともないからやめたいた方がいいのでしょうね。それを「やめられない」ところがまた寒い。反対者多数といいますからね。
亡くなってからも尚「忖度」・・・とは却って死した者へ「恥の上塗り」の如くに見えます。
あの女の子の死とは違って私にはどうでもいいことですが。
次回大河ドラマの件。
楽しみではありますがよくよく考えてみれば、三河一向一揆の扱いはごくごくあっさり・・・の感じがします。
家康が味わう試練の一つで些末な出来事ではありませんが・・・。
それでいながら何よりその戦さの原因と終結が分りずらい。
その発端の説も色々ありますし、原因の「本物」は隠されているような気もします。
というか最近の若年層女性視聴者にウェイトを置いたドラマの製作サイドでもその突っ込んだ演出は難しいと思いますし、まったくその内容を知らないで視ていたとして誤った演出をやらかせば尚更、理解不能になるかも知れません。
家康家臣団が家康方と阿弥陀如来方(一向一揆方)に二分されて争うなど普通に考えれば、わかりえないことでしょう。
以前から古今東西「一向宗(本願寺教団を他が呼ぶ語)を見誤ると歴史を見誤る」というのが私の持論ですが、まぁ最近のところはともかくとして室町中後期以降その理解が及ばずにしっぺ返しを受けた為政者たちの例は多々ありますからね。
一揆方(本願寺門徒多し)対家康による無意味と思われるような戦闘でしたが(結果的に家康と家臣団との結束が強まって家康にとっては悪くない落しどころでした)「どっちが悪い」と決めつけることもできないでしょう。
それが家康主役のドラマということもありますし、かといって一揆方の咎を強調するとなると、現状の当流大谷派(その派が圧倒的に多い)に関わる人たちからもその解釈の仕方によっては「クレームが出かねない」とやんわり気を遣うことに。
いわゆる忖度というやつをしなくてはならなくなります。
だから「さらっと」なのです。当たり障りのない程度に・・・
大河ドラマは特に宗教系の演出は下手というか苦手に感じるところ大とみえて最近では歴史考証ならぬ仏教(宗教)考証まで製作サイドに入れているようです。
ブログでも度々記していますがかつてあった大河ドラマの本願寺顕如演出のシーンで背景に「釈迦如来坐像」と思われる仏像がありました。
思うにあの件は大河製作サイドでも最もトラウマになっているかも知れないような珍事でした。
まぁどうでもいい人には大したことが無いと思われるでしょうがさすがに当流の人間が見たら「絶大なる違和感」。
また、最近は特にあのインチキ宗教の不気味が強調されているご時節ですので宗教については我が国に根付いている既存の仏教(新興宗教の語に対して)であるといえどもなかなかうまい具合に描きにくいというところでしょう。
もしかして「わかっちゃいない」と思わせるような台詞・演出があったとしたらクレームの電話が集中するかも知れませんね。
ただし私の今風に思うところですが三河一向一揆は地元近親者同士の不毛の「殺し合い」であって、残念至極の出来事。
多数の人命が失われた不幸な始末でした。
門徒方まとめ役の寺の僧たちが守護不入権に拘り過ぎ、譲歩案を見出せなかったところは大なる失策だったかと。
殊に残念に思うところは同族間分かれての戦いのなか、家康の「恕」があったにしろ(途中で寺方をハメたかと思わせる家康の判定がありました)、一揆を主導した真宗寺院には長期に渡って厳しくあたりましたから。
結局主たる寺たちは破却されたうえ真宗そのものが禁制になり
家臣団には改宗を迫りました。
その件、いつも思うところですが、そのせいで三河系にもかかわらず大名旗本系に真宗が残らなかったというところ、如何にも残念な事。
あの事件、三河一向一揆がなかったとしたら・・・
大名家に真宗系は多数あったでしょうね。
タラレバですが宗派的に言っても不毛なる争いだったのでした。
何事もただ戦争をすればイイというものではナイのですよ。
今も昔も。
さて、昨日は以前記したブログのその内容について「出所を教えて欲しい」という「便り」がありました。
久世広宣の父広長が一向宗側について戦死し母に連れられ遠州に流れ着いたという件です。
その方は「碧海郡井内村民」とありましたので三河の方でしょうね。
かなり前の記事ということとボケが廻って私も一瞬「?」でした。
きっと寛政譜だろうと見廻すもその辺りの記述はナシ(その広宣の件は結構面白い・・・)。
そのブログに記した供養塔の並ぶ寺の前には当地周辺では結構有名な安売りスタンド兼マーケットがあって横須賀方面に所要がある際に立ち寄ることがありますが、(奥方は店)私はお寺の境内をブラついたりします。
そういえば「こんな掲示板があった」と感じて撮影に至ったのが最近のこと。
それを「これです」という具合に「寺伝でしょう」と安直に昨日はそのブログコメントに返信して画像を追記したのですが、よくよく昔の画像を探してみると、しっかり同じ画像が残っていました。
これから夥しい無意味な画像は整理していかないと・・・
バックアップする前に以前の如くHDがクラッシュしそう。
まぁその時はその時。私の棺桶(あるいはゴミ箱)に入れてもらいましょう。
③画像はこれまで何度かupしているNHK大河ドラマで使用された石山本願寺の画像。
その前には顕如さん扮する役者が座っている・・・という場面です。
再放送の際には削除されていましたが、あの頃は私は欠かさず録画していましたから・・・
しかし天下のNHKのミス、珍しきことにつき今後も何度かこちらの画像は使わせていただきます。
その凡ミスについてミスばかりの私がとやかく言うとこはできませんが、「寺の本尊なんてどこも同じでどうでもイイこと」という思い込みで適当なものを見繕ってきたのでしょうね。
私どもの「一向」とは阿弥陀仏オンリーの意で、それも立ち姿に限定というところ、知らない人にはわからない。
また外の方にはどうでもいいこととはいえ、真宗門徒にとっては「それ(他力)しかない」の思想ですので「どうでもよくない」のです。
それがまた「命がけで守るべきもの」だったのですからムキにもなりましょう・・・
まぁ、わからない人にはわかるまい・・・。
だから宗教はややこしいと思われてしまうのでしょうね。
無神論を標ぼうするのがスバラシイとお考えの方ばかりの世ですから。
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