台風11号の迷走(南下)と東シナ海停滞には意表を突かれましたね。
再び北上してきますので沖縄本島も先島諸島もダブルで、長時間、何もできない籠りっきりの生活になるわけで。
その台風の影響で昨日の遠州、浜松方面はデタラメな雨が降って天竜川の支流が溢れていました。ちなみに当地相良は殆ど降雨なし。
沖縄の地元の皆さんも出漁できない(最長2週間)など困りきっているのですが、それはまぁ毎度の事といえば毎度の事。
しかしそれが「初めて」である人たちの件、私は何度もそういう時のツアー客の泣きっ面の状況を見送ってきました。
その旅行はまさに苦痛以外の何物でもないでしょうね。
事前のヒント~台風発生と進路予報~がありそれを承知しての沖縄入りだったことはわかります。
その出立の際といえばまだ飛行機は飛んでいますし、そこでの直前キャンセルは100%、いわゆる全損になりますからね。
「もしかして予報コースが変わるかも」などの楽観も頭の中を闊歩します。
ということで一家で沖縄入り、予想は大当たりの沖縄直コースとなれば、ビーチのお遊びに観光もパー。青い空に青い海の清々しさもナシ。
がっかり連続の後、やれやれ、さぁ帰還とばかりに空港に向かえば飛行機は飛ばず、大挙する帰還難民による最短の出発便のキャンセル待ちの行列に並ぶことになります。
まずその飛行機に家族全員一緒に搭乗するなどいうのは夢のまた夢。
今のご時節、同じように来沖している観光客がどれほどいるか。航空会社に「飛行機を飛ばせ、増便しろ」など気持ちはわかりますが無理なものは無理ですね。
只管その有り余った時間を反省と後悔に使うというわけで。
よって苦痛の上に苦痛を更に重ねるというのがこの沖縄名物台風ツアー客の悲劇なのでした。
今回の長期間に渡る台風の嫌がらせについてもやはり空港待機の時間は増えるわけで。
よって夏場の沖縄ツアーの際には今後有り得る最大の苦痛というものを理解、想定し、運悪く台風の気配があった場合キャンセル料100%の損で手を打つというのも一つの策となりますね。
最近では台風保険などもあるようですが。
毎度私は沖縄に行くなら梅雨明け直後の6/23~7月初旬(今年は雨が多かったのですが)というのはその台風到来の確率が少ないからですね。美しいリゾートの快適の裏にはそれが控えていることを。
お盆休みから9月の選択は絶対にありません。
あり得ないほどの苦痛を味わうということをツアー客は御存じないのでした。
沖縄ツアー、それは・・・博打のようなものです。
旅行会社はそういったネガティブな情報は伝えません。
ブログでは時折、思いついたように台風について記していますが、あそこを通過する台風(日々勢力upする海域です)を甘く見てはイケません。
私の経験した最強だった915hpの台風が過ぎたあとの景色は一変していました。
コンクリート鉄筋入り電信柱は根元から折れ、船は道に打ち上げられて、立っているものはすべて倒れているような感じでした。
私が沖縄在住の際そんな台風をやり過ごす時は意外にお気楽。
借家はコンクリート製で頑丈、ただひたすら耐えるだけです。
その「お気楽」というのは「失うものが何もない」ということ。
敢えていえば命の他には外に駐車している車ぐらい。自身の家や船を持つ方たちは冷や冷やでしたから。
ところが今、私にはお寺があります。
つくづくそんな厄介者がこちらに来られることは甚だ迷惑。
逃げたいくらい。
管理者、責任者としては頭が痛いものがあります。
最近は世界各地の天変地異の状況を目に焼き付けられているのです。そんな猛烈勢力の台風に関して日本本土に至るまでに減衰するというパターンを見ていますがまったくそうなるとは限りません。強いままやってくるということです。
私はそんな異常な台風が「そろそろある・・・」と考えています。猛烈大型の直コースが。
前例を記せばそれが伊勢湾台風。
私の記憶には当然ながらありませんが(昭和34年)三河の西側を北上した「猛烈で大型」の台風です。いわゆる「コースの右」という位置関係の台風でした。
発生当初は1000hp程度であって天気図を書く人なら台風としては「大したことない低圧帯」-ただの空気-程度と高をくくりたくなる台風でした。
それが何故・・・というくらいに瞬く間に勢力を増して最高で895hpだったといいますので驚異的。
私が沖縄で味わったのと同様の900台前半の縦断がかつてあったのでした。
拙ブログでも何度かその台風の名を記していますが三河のお寺たちを拝見していて「二度とその被害を味わいたくない」といった本堂、鐘楼、山門などへの補強対策の様が伝わってきます。
それに対して拙寺の場合は台風・地震対策は今のところナシ。
本堂には多少の手を入れていますが・・・
人間というものは一回ビシっと痛い思いをしないと重い腰があげられないものですが、私も例に漏れず。
何とかしたい気持ちはあります、ただただ暫く暫く、お待ちいただきたい。
さて先日は幸田の六栗城で幸田は広田川からと記しましたが(昨日の野場東城の赤川もその支流)広田川の歴史はその氾濫水没と堤防修復の歴史とも。在地に住まう人々の苦難の連続が想像できます。
広田川といえばその川越しに見た加藤嘉明生誕地の碑があった 上永良神明社について記しましたがやはりこの広田川近くに永良山という山号を持つ本願寺派のお寺「善巧寺」(場所はこちら)があります。
将に広田川の土手の脇の下という感じ。
平常時の川の水面と同じか、ひょっとしてそれよりも低いとも思わせるような場所です。
いつものようにお参りしてから境内をブラつかせていただきました。
そして鐘楼の「突っかえ棒」に着目。
最近の私の気になるところです。
どのような機会にこの鉄の支柱を設けたかわかりませんが、重たい瓦に鐘をぶら下げた鐘楼は地震と水流には脆いということです。倒壊する前、予測しうる失態の前に先回りして手を打つ、それが良識者の心得か。
④は寺山門の前の土手の上から。
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