結構にあのNHKの変な番組、「カマキリ先生」の昆虫番組は嫌いではありませんでしたね。
他の彼の出ている番組は見たことがありませんでしたが。
ただし昆虫好きはわかりますが殺虫剤のCMに登場していることにはその脈略の無さに疑問は感じていましたが・・・
その芸人さんの酒の席での醜態が暴露されてこれからその手の番組やら各CMから姿を消していくようですね。
まぁ酒席での破廉恥の責任を取るということになります。
私は「何という恵運」と周囲が感嘆してしまう専らの下戸ということもあってその趣向での「間違い」の心配はありません。
友人からは「素面というのがもっと恐ろしい」とも言われますし、酒の習慣があったら「今頃生きていられない」支離滅裂、終始「酔っている」とも。
ということで若い頃から御一同誰もが怪しかったと反省する飲酒や酒気帯び運転も当然に経験なく私はいつも運転手。
一昔前だとその酒に対する世間様の許容度は高くて、飲酒運転なども「ちょっとくらいなら」事故さえ起さなければOK!!くらいの気持ちで殆どの人たちが気軽にハンドルを握っていたものです。
そして酒場でハメを外して何かやらかすことも余程の事がない限り「なーなー」で済んだものでした。
その酒好きの皆さんは私の友人にも多く、そしてそのアルコールが惹起する性質の豹変を幾度も目にしてきたところです。
下戸のくせに酒の場にちょろちょろしたのは学生時代の「合同コンパ」とやらに顔を出すという機会がままあったからで、そういう場に足を運ぶこと、さほど苦に感じないからです。
まぁ、ああいう場でジュース(まだウーロン茶がない時代)などをちびちび飲んでいることには違和感がありましたがね。
拙ブログではその酒への宗旨的許容については幾度か記しています。他流で御馴染み、山門の「不許葷酒」「禁葷酒山門」などの結界については「無い」ということ。
親鸞さんは酒というと「無明の酒に酔ひて」(親鸞聖人御消息)
と酒に「無明」という形容付きで記しています。
無明とは「無明の闇」(教行信証)のこと。
まぁ酒は「飲まない方がいいかも知れないが飲んだとしても無明に陥らないようにね・・・」でしょうか。
自己を忘れてハチャメチャにならなければ・・・ですがそれがまた人によっては難しいことになりますね。
よって蓮如さんも酒をふるまうなどその許容度は高かったのですが、親鸞さんの善智識、法然さんはというと・・・
「お酒は仏教の戒律にあるのでダメでしょうねぇ?」といった質問に対しての回答
「まことは のむへくもなけれとも この世のならひ」
でした。
要は酒と自己の性格との関係と色々「わきまえる」こと必要だということ。それならOK・・・世のならいだから・・・
戒律などありませんからね。お好きにどうぞ・・・
そして現代は、その酒で乱れることの許容度はどんどん低くなっているということも念頭に入れておかなくては。
人生台無しの例を限りなく見せつけられています。
さて、昨日は幸田の野場西城について記しました。
地図を眺めているとその周囲の字名に「城」「城下」「城東」等が見られそのかつての城址の存在がより一層推測されるところですが、昨日も記したとおり、こちらには今一つ、野場東城という城址の件が伝わっています(場所はこちら)。
下図の航空図からすると背後を南側から張り出した台地の先端の平坦部、先日記した丸山古墳からの街道を抑えようとする場所になります。
地形としては街道が丘の直下を走ってその城があったと言われる地はむしろ低地。
ぱっと見て要害性はまったくナシ。
字名は「米倉」ですから想像するに「米蔵」。
東側の低湿地の田園地帯の収穫物をプールするための集積場としての付属的施設(城塞)だったのかも知れません。
今は新幹線(野場西城①画像にも見えます)と墓地に埋もれているようです。
⑤⑥赤川と米倉橋。
河川を掘に見立ててみました。
山本氏の城といいますし、夏目が籠って捕縛されたのはこちらだったという説もまたあります。
私は六栗城の地形が一番に籠りやすく逃げやすいと思うのですが・・・
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