息子や親戚のコロナ感染体験など、聞けば聞くほど「おそろしや~」です。
当人たちはまさか自分が死ぬかも知れないなどとは思いたくはないところですが、死者が毎日のように出でいる現状、苦痛の病床の中「もしかして・・・」はふつと思い浮かんだことでしょう。
それほどに体力が消耗し、食事も飲み物も摂ることができなくなるくらいにただ倒れているだけといいます。
息子は昨日、感染後初めてコンビニに行って食材を仕入れたそう。
周囲は勿論、彼がコロナ感染者だとは思いもしないでしょうね。
自治体が自宅療養者へ「外に買い出しに行かれては困る」という理由から大量の食糧支援を行っている様子を見ますが、彼の場合は住民票を移していないため、牧之原市民。もっとも聞くところによればその段ボールの中身は「喰いたくもないものだらけ」とも。
ということで世の中その手の者がうじゃうじゃ動き回っているというわけですね。
尚、息子と同時期に感染し、今も療養中の妹はいまだ37℃代。
平常体温に戻らず、コロナ特有のあの諸症状も消えずに苦しんでいるとのこと。年齢差、自然治癒力の差か・・・。
尚、同居の息子は友人の家で「避難生活」とのこと。
飲んだ薬と言えば市販の風邪薬(カコナール)というのが笑うところでした。
それが庶民の現実というものなのですが、エライ人たちは自分らが飲んで快方に向かったそのクスリの件、庶民に行き渡っていない事実、知らないハズがないわけで。
為政者というものは「自分は後回しで」というスタンスだとてっきり思っていましたね。それが「我先に・・・」ですから。
何もかもが信じられなくなりました。
日本の政治屋が韓国のインチキ宗教にドップリ嵌まり、国民の財産をくすねまくって送金させていたなんて・・・開いた口がふさがらない。
さて、以前拝見させていただ夏目家位牌の件。
明善寺縁者の中川氏によると、寛政八(1796)年当時、夏目家の九家が集まって当地六栗での法要開催の計画が発案されたといいます。
寛政譜編纂がきっかけだといいます。
計画としては位牌の製作・三代の墓の建立、顕彰碑建碑に梵鐘鋳造と堂内整備だった模様です。
しかしながら思わぬ時間が経過し文政六年(1823)になって夏目家の本家含む六家にて位牌と墓が完成したとのこと。ただし顕彰碑の建碑は実現しなかったようです。
①②は同じもの。①②と③で夏目三代。お墓の方たち。まとめたものが⑤。
⑧が15代目。
4代~14代は下記、史料通りに数字を振ってみました。
位牌が順番でなく家紋等まちまちのところは不明。
尚、真宗大谷派では現状位牌は用いません。
また法名に「○○院」と「釋〇〇」というのが常。
それ以外の階位は用いません。
古い時代は結構に重んじられていたのでした。「字数」勝負?
これら位牌たちも伊勢湾台風で損壊した本堂から四半世紀の間、夏目家由縁の個人宅に安置されていたそう。
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野村庄右衞門幸正 (火曜日, 30 8月 2022 12:41)
我が家もコロナ罹患時に自治体(御子息と同じ)からでっかい段ボールが2つ送られてきました。
カップ麺、サトウのご飯、菓子パン、カロリーメイト、水、お菓子、魚系や焼き鳥などの缶詰などなど。
具合の悪い人に届ける内容ではないよな。。。という感じでしたね。
今井一光 (火曜日, 30 8月 2022 18:56)
ありがとうございます。
急場をしのぐ保存食の類ですね。
喉が痛くて飲み込みしにくく体が動かない人に
「さぁ、どうぞ~」と言われても・・・
二村 順二 (木曜日, 12 10月 2023 19:56)
いつも楽しく読んでいます。静岡県牧之原市の住職が、全国を歩き回って、土地の歴史や英雄に思いをはせる姿勢に感心しています。本日、六栗の明善寺に行って、寺族の男性と2時間近く話をしました。私は、66歳になる郷土史家です。幸田町の隣の蒲郡市に住んでいます。先月、夏目吉信の旧墓地に、六栗城址の高さ3mある石碑が建立されました。岡崎市の高田派の寺院が、夏目家の地元の子孫と縁者で、今は夏目家の位牌を預っているそうです。地元の郷土資料館に相談したら、位牌は御断りだそうです。明善寺の本堂は老朽化しており、盗難の心配で、戸締りしています。私は、昨年4月に調査しましたが、豊橋市を地盤とする歴史愛好家団体の機関紙「さんえん」に、位牌調査の小論文を載せる予定で、1年以上、準備して来ました。大澤寺の住職と一部は重なる部分があります。今年の大河ドラマ「どうする家康」の影響で、遠方から訪ねて来る人がいるそうですが、中には家族の位牌を置いてタダで供養をさせたい不心得者がいて、戸締りを決心したそうです。情報交換したいので、その気があったら、メールをください。私のアドレスは、futa2mura@xj.commufa.jpです。
今井一光 (木曜日, 12 10月 2023 21:09)
二村順二さま
ありがとうございます。
旧墓地に石碑が立ったとのこと。これでまた彼の地に赴く理由ができました。
蒲郡は蒲郡で観光の街といえども私は歴史を感じますので、その探訪はうきうきだったことを思いだします。
私はたまたま明善寺にてその方と本堂で同座し三誓偈を一緒に拝読したことがありました。
それにしても位牌持ち込みとはちゃっかりしていますね。
また浅薄な知識しか持ち合わせていませんので「もっと知りたい」気持ちはたくさんあります。
どうかまたお声かけ頂ければありがたいことです。
当方からも直メールさせていただくかも知れません。
どうぞよろしくお願いいたします。
どうぞよろしくお願いいたします。