昨日の法事は焼津方面からということで11時開式。
カンカン照りでしたがクマゼミは休憩時間。
マイペースでお勤めができました。
ご納骨がありましたので晴れほどうれしいことはありませんね。墓地は境内ですので移動もナシ。
牧之原の葬儀社・火葬場では真宗寺院ともなれば分骨用の小さな入れ物を別に用意してくれますが、焼津・静岡ではその件の配慮はありません。
そもそも遺骨を複数に分けるということに関して「それぞれに埋葬許可の書面が必要」という建前があるようで、その件現場での「配分」を許容しませんね。
当流では大谷祖廟に分骨するというのが代々の倣いですのでそういった場合、大抵は四十九日法要の納骨の際に「分ける」ことになります。
施主は昨日その容器を葬儀社に依頼して取り寄せ、墓前にてその作業を行っていました。最初から大小の容器が用意されていれば、その手の余計なことをしなくて済むのにね。
大井川を超えるとやはり(真宗寺院少なし)、当流の「分骨」イベントへの理解が少ないようで。
さて、拙ブログでは勝手に苗字を並べ立てては好きな事を記しているわけですが、最近は三河から駿遠の大谷派寺院の苗字・・・ 本多 安藤 石川姓の多さの特筆・・・そして昨日は三浦について少々。
どうしても他人様の苗字を見聞きして「その出身は・・・何系・・・」などとついつい興味を持ってしまうのですが、最近でいえばプロ野球の日ハム「今川」でしょうか。
彼は北海道出身といいますが、一体何故にしてその名が・・・と思います。元は三河か、駿遠か・・・などと。
その手の珍しい苗字で勝手にその歴史推測することがよくあることですが、あまりにも身近でさほど珍しくない苗字に加藤姓がありますね。
この地区では榛原に少々(大抵がご門徒さん)、大谷派寺院で身近なところでいえば横須賀(旧大東)の林正寺があります。
安城のこちらの神社の石碑に刻されたその名たちにその「加藤姓」の連なりがありました。
この地区を歩くのは三河の真宗と三河武士団の痕跡に触れるという独りよがりの趣向でブラつくわけですが、遠景こちらの林の中を覗いてみようという単純な興味でそれを発見したという次第。
三河一向一揆を主導した三か寺の一つ本證寺(小山)や既出の蓮泉寺(石川)、法行寺(石川)・長因寺(石川)などとも遠からず・・・岩根稲荷神社-岩根石塚-(場所はこちら)です。
その近くには安正寺(加藤)もあります。
由緒碑には近くの岩根城初代城主「加藤正成」の名が。
その末裔の「加藤」を思うわけで。
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