再びの梅雨入り宣言でもしたらどうだい・・・とブーたれたくなるような不快な天気が続きます。
昨日も法要があってやきもき・・・。
施主家より「予報では雨だったからラッキー」との談がありましたが、墓参が終わるころから雨に見舞われました。
「運がイイ」「幸運」の巡り合わせ・・・とは言いますがそれを私は「ご縁」と。そしてまた多々ある「不運」「ツイてない」も「ご縁」ですね。
余計な事ですがその「ついてない」の語を記したりすると「ついてないぜと苦笑い」(RCサクセション「いいことばかりはありゃしない」)の歌詞やら映画の中の台詞「今日はツイてないぜ」等々思い出します。
運のイイ人悪い人、運の良しあし・・・「まぁ、色々ある」(アルカポネ役デニーロの台詞)も。
まぁ一般人としてはその手の台詞を吐くシチュエーションはまずないでしょうし、やはり何事も「ご縁」として承るだけですからね。ちなみに「ご縁」といえば我らは「これも如来さんのはからい」だから・・・と了承するのでした。
しかし、なんとなくその語には哀愁が籠っていて聞いている方、見ている方こそがニヤリとしてしまうのでした。
あるギャング映画のラストで、FBIに撃ち殺される前に「今日はツイてないぜ~」には「奥の墓道」氏と爆笑したものでした。
たしか30年以上前の映画だったような。
昨日の法要の締めの御文拝読は「猟漁」(りょうすなどり)。
真宗の教えの真骨頂のところで、私の好きな御文の一つです。
御文の拝読で何を選ぶかは一周忌~三回忌あたりまでの「白骨」(五帖-十六)の拝読という暗黙の了解がありますが、それ以外は各自由というのがスジ。
カラオケのページを捲るのと同じようなもの、真宗の坊さんなら
"my favorite"を持っていますね。
その「猟漁」の中でも私のもっともお気に入りの箇所が冒頭の
「われらごときの いたづらもの」のところ⑧。
まぁ私など小さいころからそのフレーズを度々聞かされ続けていますので親しみ深く、ここもニヤリとさせられるところですが、ココはいわゆる「悪戯」の方ではなし。
「いたずらもの」とは要は偉くも何ともない「フツーの人」のこと。
では本文を。
「まづ当流の安心のおもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。
ただあきなひをもし、奉公をもせよ、猟・すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬるわれらごときのいたづらものを、たすけんと誓ひまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあづかるものなり。このうへには、なにとこころえて念仏申すべきぞなれば、往生はいまの信力によりて御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念仏申すべきなり。
これを当流の安心決定したる信心の行者とは申すべきなり。
あなかしこ、あなかしこ。[文明三年十二月十八日]
「いたづらもの」にとっては嬉しくなってしまうような御文。
拝読していると心から「ありがたい」「南無阿弥陀仏」・・・と口から出てくるものです。
さて、画像は石川政康の小川城址と言われる「本城公園」。
場所はこちらです。
住宅地の中の児童公園という感じで、城址の面影はまったくありませんが「的場」の名からかつての武士(もののふ)の活動の地であることが伝わってきます。
⑥掲示板の名の「黒柳」は石川政康墓地の石標の文言に通じる
「名」ではあります。
矢作川対岸の西尾市西浅井という地でその名の件、承知していますが・・・。
コメントをお書きください