小川町志茂 蓮泉寺石川政康 チャキチャキの真宗有徳人

七夕といえば当家の習いは、ぼた餅を喰らうこと。

当家と言っても私だけの趣向ですが、それを所望して店に奥方と。

言葉遊びです。棚からぼた持ち、棚ぼた・・・七夕。

今日のそれは失敗、胸ヤケぎみになりました。ぼた餅も奥が深い。

 

ここへ来て島根がぶっ飛んでいるというのは驚きです。

急増する新規コロナ感染者。

いよいよ覚悟が必要ですね。

私ども庶民レベルもそうですが政府は選挙前ということで判断先送りのいろいろ。

再び後手後手対応となれば「間抜け」の汚名をまたも着せられること、御覚悟を。

特に先般「様子見、判断繰り延べ」の判断をした、国産コロナ薬の承認の可否について、「7月20日」に判断が出されるようですが一応コレ見ものです。アメリカさんに遠慮して再び様子見にするか・・・それとも。

 

不祥事色々がバレても「絶対やめない」と勇ましかった英国のジョンソン首相が突如として「やめる」と決断したようです。

英国人、なかなか大したものです。

ヤメルの結論を出したこともそうですが、引き釣り下ろしたことも。

日本だと、周囲の忖度雰囲気が覆って「責任を取ることでもないでしょう・・・」などと肩を持って「ヨイショ」の嵐吹きまくり。

根っからの図々しさもあいまって現状維持。

時間が経って無かったことにするなどこれまでガッツリと地位にしがみ付こうという醜態を見てきたものですから、いたってこの英国劇場は新鮮に感じました。追い込まれたとはいえ、まぁ潔かったと。

 

少なからず日本の政治家として名乗りを挙げんとする者の中に昔のジャリタレ(差別用語でしたら失礼)イメージしかないチンプンカンプン氏の立候補には辟易。

当選したとしたら「世も末」。

どうでもいいことですが・・・

 

しかし誰もかれも「われこそは・・・」の大挙立候補の姿を見て、やはりその仕事は「オイシイ」、「一度やったらやめられない」のでしょうね。

またそれと同じような場所が刑務所のような・・・とも。

そこに「入りたい」「是非行きたい」「戻りたい」という人が時に登場し、人を無差別に傷つけるなどの事件が起こるのもそこがそれほどいい場所ということなのでしょうかね。

超越しているとしか・・・まったくわからない。

どちらの皆さんの心情にもまず近づくことはできませんが特に前者の街頭演説とやらを聞いて「よくもまぁ・・・」と思わせること多し。

ウソ八百のオンパレードの様、いよいよ誰も信じられないという気持ちが・・・アレばかりは自身教祖となる新興宗教のようなものだと思うばかり。

 

さて、昨日の小川志茂、蓮泉寺の裏にある石川台嶺ほか「護法有志墓」の真っ隣にあるのが石川政康の五輪塔です。

石川の家紋と言えば笹の葉さらさら(笹竜胆)でした。

 

こちらの「石川」が三河石川姓のはじめというのが定説で、当家足助成瀬の祖、足助次郎重範が後醍醐天皇の笠置山挙兵籠城組。負け戦から苦渋を飲んだというところは同じです。

 

石川氏の場合は蓮如さんとの出会いによって当初から真宗の教えとともに発展した家でその一統の流れは大いに広がって本願寺門徒を率いる武士団としての筆頭となります。

三河の本願寺の歴史にはまずその名を表して(上宮寺妙春尼)、来年の大河ドラマにも序盤から平岩とともに頻出、松平氏とは切っても切れない家です。

石川数正の謎の出奔なども家康の「どうする~」の一つでもありますからね。

 

墓石は五輪塔形式、卵塔まであって近代の真宗寺院の墓地とは一線を隔します。

こだわりもなくそれがオーソドックスだったということがわかりますね。一昔前の方が鷹揚だった?