昨日のお寺の掲示板について追記。
転記すると
「自分のあり方に 痛みを感ずるときに
人の痛みに 心が開かれる」
宮城 顗-みやぎしずか-
です。
先生はある場での法話でそれを発したとのことですが、それをまたどう解釈、受け取るべきか・・・その現場に私がいたワケではありませんので単にその言葉からのみ感じたところは、昨日短く記した如くに「己の痛みを感じ相手の痛みに気づけ・・・」
でした。
同時にその先生の少々遠回りとも思える表現、特に最後の「心が開かれる」について今一度記してみたくなりました。
「人の痛みがわかるように」の風ですがその「わかる」を使用しないで違う表現、「心が開かれる」を使っている・・・ことが気になりました。
今その「わかるよ~、わかったよ~」の語が問題提起者への返答として「かえって腹が立つ」という感覚を抱かせることをしばしば聞いていたからです。
要は、何が「わかった」のだ(偉そうに・・・)、何もわかっちゃいないくせに・・・親身を思わせながらしばしば「話を切る」(しばしば)言葉として使われている風を漂わせてしまうのですね。
その件を承知している先生は、敢えてその遠回し、「わかった」ではなく「心が開かれる」を使用したのでは・・・などと感じたのでした。
実際問題として、痛い・辛いの訴えに「わかるよ~」という語を使用せずとも「心が開かれたよ~」などとは言いませんので、そのような時はただただ「黙って聞く」、適宜頷く程度での対応がベストなのでしょう。
正しい回答を求めているワケではないのですから。
「痛くて辛いのだね」・・・。難しい。
やはり「わかるよ~」は詭弁にしか受け取られないということ。「聞き役」の立場にある私はその語の使用はタブーであるとますます思ったのでした。
さて、私の石垣遊びについて記しましたが、面白そうな謎の石積があるということを以前から知っていました。
よってあるとき、ついで・・・ということでその探索に出向きました。
季節は厳冬期、地理不安の山の中で、殆ど地元限定でしょう、いわゆる「知る人ぞ知る」的な遺構です。
城址説もありますが、現場に行って果たしてここに城をつくる意味があるのか疑問にも思ったほど。
場所は、拙寺の七代住職祐信の実家、順成寺(他にこちら、こちら、こちら、こちら)に入る道をそのまま進んで、しばらく行った「山の上」(場所はこちら)です。順成寺墓参のついででした。
おそらく無理だろうの半信半疑の「エイやぁ」の強行でしたが何とか辿り着くことができました。
現地には標識などは有りませんでした。
山の名称は「イナバ山」とありますが、以前はそのような名はグーグルマップにはなかったような・・・
地元では周辺山地含めたハイキングコースとして有名な場所のようでその日は駐車場には数台が停まっていました④。
この駐車場に向かうには途中にある「くるみ会」なる施設を目標にすればよろしいかと。
その建屋を右側に見てしばらく行くと、左に大きく曲がる道が出てきますがそこを左に上がらず真っすぐに行けば③その駐車場です。
左側と右側に二つの登攀路があって、私の前の人たちが左に向かいましたので私は右にまわりました。
というのもそちらの方向が南向き海方向になりますので人為的造作物があるとすれば南側を向きたい・・・ただそのような感覚で。まぁ結果それが最短コースだったのでしたが。
⑤石垣に使えそうな(かつて使われていた?)石ゴロゴロの道を進み、スンナリ行くのか・・・と思いきや⑥の変則十字路に来た時、大いに悩みました。
直進して南の下り、右の西の上りを少々試しては戻り、そこから諦めの気分溢れつつも、東側の道に上がってスグ何とか、目標に到着したのでした。殆ど偶然の無謀。
このような迷路の如くの道めぐる知らない山に行ってよくもまぁうまいことその目的に出会えて無事に帰ってこられたものだ・・・とその嬉しさを帰宅してから唾を飛ばしながら奥方に話しましたが、そういった感動は往々に相手に通じないもの。
「わかったよ~」でもなくシラ~っとしていました。
何かの遺構であること、工作物の跡ということだけはわかりますが、やはり石に聞いてみなくてはわからない。小さな石積の囲いにその雰囲気だけは感じましたが・・・
西尾市としての見解はどうなのでしょうね。
「城です」と言われてもその根拠とその時代は?
①②は目標の「くるみ会」への道に入ってすぐ、左側の藪にあった祠。
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