高月院 元は在原信重が足助氏から招いた僧の寂静寺

昨日の法事でのお話は「お前も死ぬぞ」でした。

先日の掲示板の記憶があってそのような人様の耳に障る語を成行から吐いてしまいました。

まぁ法話としては死はベストな題材ですが。

 

人間は愚かですから、自身の命は未来永劫にわたって続くものと錯覚しがち。

時に「神の如く」我が物顔に立ち振る舞うというところ「ある ある・・・」。

 

蓮如さんの仰る「朝(あした)には紅顔あって 夕(ゆうべ)には白骨の身となれり」の文言もまた。

なにしろ人の命は「あっという間」ですからね。

感謝と思いやりが足りない昨今。修正していかなくては。

 

午後になるとある檀家さん(女性)からの電話で「今から寺へ行くのでヨロシク」と。

午後からは例の相良城石垣に使用されていた(模様・・・)の石を一回戦でも運び出しに行きたい・・・などと考えていたところでしたが、その声にいつもと違う雰囲気が漂いまさに非尋常。

「どうぞどうぞお気軽に・・・お待ちしてま~す」と予定を変更したのでした。

 

その手の「お話を聞いてください・・・」の件は、他の葬儀依頼の電話から比べれば私にとっては余程お気楽です。

ただし今回はその話を聞かされて、それはそれはひっくりかえらんばかりに驚かされたわけですが、ハッキリ言って前代未聞の無茶苦茶、「怒り心頭に発する」とのことでした。

それでいて要は軽々にブログに記すことができないようなことで残念。

 

そのような「ヤバそう」な話を私ども(その方は当方奥方とも懇意)にブチまけてしまうなど、ある程度の「信頼」の証拠でもあって、少々の嬉しさもありました。

雰囲気的にその差し迫った問題に対して当人は「訴訟になるだろう」との決意がありました。

気の小さい私は「その件私は聞かなかったことにしますが、応援はします!!」「『地裁で会いましょう』の台詞を吐いてやってください・・・」と。

 

その件、(私どもに)迷惑をかけたくないので勿論今後関りについては口外することなどなく、「弁護士を雇って徹底抗戦する」とのことでした

今後の推移を見守るだけです。

尚、訴訟に上がる先方様は当方檀家さんではありません。

いろいろ存じ上げている方ですが。

 

その方は「あいつが死ぬまでこっちもとことん頑張る」とぶちまけて帰られましたが、内心その相手さんも「いずれ死ぬ」(少なくとも年の順番だと「早い」)のだから「飛ぶ鳥~なんとやら」でもっとうまいことできないものかと呆れたところです。

死んだ後に「アホ」「ズル」「バカ」「あくどい」「卑劣」などなどの罵声の後ろ指を指されるのは気分が良くないですね。

齢を重ねて愈々その思いやりと温和も重ねて必要であると考えるのでした。

 

さて、先日記した「おまえも死ぬぞ」の掲示板のあった松平郷の高月院。

在原信重足助(成瀬氏発祥)氏から招いた僧のために創建した寂静寺がその元であるといいます。

 

先日は足助と松平の関係は古い・・・とも記しましたが、足助成瀬の末裔としてまた、三方ヶ原戦で亡くなった藤蔵正義の息子の寺(拙寺)としてこれまでの江戸期の各恩恵の積み重ねは幕府が拙寺に大きな支援の手を伸ばしていたことの現れでしょうね。

奇特にも、恵まれているということ

に尽きますがこれを「当たり前」と思ったら罰が当たります。