昨晩の「トリセツ」(NHK番組)のテーマは「骨」。
骨といえば最近よく耳にするのが「大腿骨骨折」です。
叔母がそれで施設入所となりました。
年配者の場合はその事案の結果5年生存率が低くなるとのこと。
要は5年以内に亡くなることが多いということですがその件大いにわかります。
数日間寝込むことから始まるその治療そのものが致命的なのですね。筋肉を失うということです。
かといって治療はしなくてはなりませんしまた安静が大事ですから・・・
動かないで寝ていることからくる筋力低下のチェーンリアクション。動けないから動かない・・・すべてにおいて「ヤル気」をも喪失させますからね。治療が老化を早めるという歯がゆさ。
歩行ができなくなることによって「今」という恩恵を無くしてしまうのです(「死にむかって進んでいるのではない 『今』をもらって生きている」 西念寺坊守 鈴木章子さん)。
ということで寝込むことはヒジョーにヤバいのでその原因となる骨折をしないことが肝要となります。
骨の強さを死ぬまで維持してかなくてはならないのです。
40~50歳で骨粗しょう症と診断される人もいるようです。
骨を折ることなく「今」を全うするために番組推奨の体操を。
「30代から始める!1日たった90秒“骨の若返り術”」はたったの一日50回/90秒の「かかと落とし」です。
数回に分けてもイイその50回。
カンタンすぎるその効果が出るのは半年後とのことですが「続けること」大切です。
呆気に取られるようなカンタン体操。
以前から言われていますがますます拙寺本堂でも推奨していきます。
さて、表記のネガティブ風掲示板文言は以前もどちらかで記していますがそのダイレクトに心にインパクト与える文言は、世間様からは案外と肯定的に捉えられるようです。
まぁ「いたって当たり前」の事なのですが。
そしてそれは「突然」の到来も大いにあるということですが、「いつまでも『今』の如く」続かない」(無常)という仏教的思量からくる「私自身への警鐘」であると了承するのでしょう。
これから迎える夏、芭蕉の句
無常迅速
「 やがて死ぬ けしきは見えず 蝉のこえ 」
なども心に染み入るようになる年頃となりましたね。
「年頃」というのは若いころのイケイケ感が年とともに「諦観」へと変化していくということですが、とかく人というものは「自分のことはわからない」のが必定。
他者の「老病死」については「わかる、わかる」と相槌は打っても自身のそれはできるだけ避けて通りたいところで、考えたくもないというのが若さの本音。気づきなども起こることもなく。
蓮如さんの言う
「人の悪ろき事はよくよく見ゆるなり
我が身の悪ろき事は覚えざるものなり」
にも通じる、そもそもの性質(たち)がありますが「私に関わる超ネガティブ現象・・・無常」はとりあえず「ナイ」と思いたいですからね。
そこへ来て掲示板の真実にあらためて「ハッと」させられるのでした。
わかっちちゃいるけど・・・いつも忘れていて、そのたびに驚かされている愚か者です。
画像は松平郷の高月院の掲示板、奥に見えるのが仏足石(場所はこちら)。私の好きな一休さんの歌も見えます。
コメントをお書きください