バイパスの大沢インターの逆行車両について今回で2度目の目撃をしました。
以前は相良街区から牧之原インター方向へ向かう車が、バイパスから相良方向に降りる道に入らんとする状況だったのすが、今度は逆のパターン。
バイパスを南下する車が、相良からインター方向に北上して合流する道に「右折」する感じで進入したもので、まぁ普通それは「あり得ない」と思うところ。
たまたま私はその大沢インターではなく須々木インターからバイパスを北上していましたので、その恐怖を味わう事はありませんでしたが、その突破の様を横目で見たというわけです。
合流せんとする対向車がそれに気づいて車を脇に寄せて唖然としていましたがその進入車は「我関せず、躊躇なし」の平チャラの躰で突っ込んでいました。
その後の事は知る由がありませんが、帰りにその道を通った際、事故の様子はありませんでした。
言い換えれば自殺行為とも。
まぁ事なきを得て「よかったね・・・」。
しかしアレで事故が無かったなど将に強運の持ち主を思いました。本線を横切っていますからね。
助手席の奥方に「人間とはしばしば信じられない事をやらかすものだ」と言うと「アレはただの逆行じゃ・・・」と呆れかえって吐き捨てていました。
運転手の顔を見ましたが高齢首ではない女性でした。
帰り際にそのミス発生のメカニズムを私なりに推測、理解しました。
大沢インター直前に「←左」の相良と「↑直進」の御前崎方面を合体させた案内標識が出てきますがその直後スグ右側にこの車が「右折」した相良から合流する出路が見えてきます。
おそらくその道が御前崎方面である(直進)という錯覚があったのでしょう。
本線は左カーブで相良方面への出口は目視できません。
相良に降りたいなどと思っての逆行ではなかったということですが、その入路出口には進入禁止の標識はありませんでした。
それを付けなくては今後もヤバイことになりますね。
まさかと思うことをやらかすのが人間。その標識は必要でしょう。
今一つ思うことは、逆行車両との対抗遭遇した場合、「道を譲って事故回避」しようとすることはひとまず必須。本能的なことではありますが、それをそのまま進ませてしまうということはダメでしょう。
普通車でのすれ違いギリの道ですから当然スピードを緩めますので、そこはしっかり強く知らせるべきです。
そのまま進ませてしまうとなれば事故の誘発を招きます。
それを推測しながらの放置ですからね。
ほどほどの警告とはなりますが、そのあとに続く対向車に気の毒ですから。
大沢インターは慣れないドライバーにとって不親切かも。
暇なときにでもその件警察署に注進しましょうか・・・いやそうするべきです。路上の監視カメラはそちらには無いような・・・
ロシアのウクライナ侵攻での「戦争犯罪」について続々とその報が入っていますが、彼らロシア軍の蛮行について防犯カメラやスマホ等の被写体になっていることドローンそして衛星から監視されていることに気づかないところは何ともお寒いですね。
「見られている」ということですが、その画像の存在はデカイ。
フェイクだでっち上げだのテキトーな事を言って「なかったこと」にするなどの大噓は「もろバレ」ということになって、あまりにもその主張は間抜けすぎ。
車内カメラ装着がここまで普及している中、未だに煽り運転の狂気がなくならないというのも不思議ですが・・・
見られているから、監視されているから「悪いことはできない」というのはあまり感心できませんが、先人たちは毎度仏が傍にいて「見られている」という感覚がありましたね。
座頭市も「おてんとさんが見ている」といった台詞があったと思います。
「私」のことを自然界の一つ一つのものが仏の如く「見ているぞ」という思考の置き方です。
何もそれは「監視」だけでなく「見守る」ということもありますね。有難いことなのです。
さて、以前記した三河田原の西圓寺のお隣に埜林山安楽寺という大谷派のお寺があります(場所はこちら)。
「埜」は「野」と同意ですが、その山号の通り、自然溢れる長閑な地です。
白い壁が見事。
墓域を散策させていただきましたが④の五輪塔残欠に思いが向きます。たまたま本堂では法事があったようで阿弥陀さんへのご挨拶は外から。
掲示板の文言。
「私をとりまく 一切が 諸仏であると 今知った」
木村無相
この方の詩はなかなかイイですよ。
「自殺しなくて よかったね」。
「自殺」は今流行りものの様です。
この方は自殺未遂を2回したといいます。
最後の画像が昨夕奥方が撮影した大沢インター直前のピンボケ画像。見づらいですが対向車ヘッドランプの右側の合流路にその車が進入したということです。
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