GWの無軌道とも思える、お国も国民の尻腰を押した「お楽しみ」のあと、新型コロナの攻勢が強まっているよう。
まぁそのお楽しみへの参加者の皆さんたちであってもその件、ある程度の想定のうちだったことでしょう。
この期に徐々に増えつつある感染者数(全国で410741人)ですが、いずれこれが「第七波」と呼ぶような大波になってしまうのかは予想できませんが、これまでの様でいえば、大いにそれは有り得ること。
今も毎日のように死者が出ていて「お楽しみ」はまだ早い感ありました。
また、果たして取りあえずの「収束」やら「終息」の雰囲気が出てきたとしても今後そのウィルス変異は果てしなく連続し今後人類との毎度毎度のおつきあい共存が継続していくというのが定説ですからね。
継続的なワクチンの開発と接種が必要であるということになりますが、もはや私の感覚では「降り注ぐ紫外線の外気の下以外」はマスクとアルコールボトルの携行は必至。
「かかっちゃったら仕方ない」は今の社会の風潮にあるかと思いますし、私もそうではありますが・・・。
例の「自己責任」というヤツで社会参加していくことになりますが、やはりコロナに罹って苦しい思いをしたくないというのが本音です。
また制約その他、このうえなく不便なことになりますからね。
イギリスからの研究記事にありましたがコロナに罹ると回復しても「20年ほど老化が進む」などといいます。
体に痛みが走る中、できないことが増えた中、「歳はとりたくないねぇ」が口癖になっていますが、ここへ来てコロナで助かる「利」を得たとしてもその玉手箱を開けた煙を浴びた如く一気に「爺さん」になるなんて、くわばらくわばら・・・迂闊な事はできません。
そして大抵皆が思う「私は大丈夫」など、あり得ない。
つくづく、健勝で老病死を免れていられることに「奇跡」と感じるようになりました。
いつまでもそれが続かないことはわかっていますが、ここにある限りの一所懸命と時間の大切さをまた思いますね。
さて、昨日は石川台嶺の殉教の石標を記しましたが順成寺の安藤姓に生まれた台嶺が石川姓に変わるのは石川姓の寺に義子として入ったからです。
そのお寺が小川、志茂(安城市)の蓮泉寺です。
山号が石川山ですがこちらの「石川」は木戸の順因寺の石川と並んで三河石川の発祥説があるお寺で勿論真宗大谷派(場所はこちら)。
門前と本堂前のそれぞれ対の石灯籠は圧巻。
門柱の3面には石川台嶺についての文言が。
最後の画像はお寺の掲示板から。
先日は乳歯塚のところで記しましたが当家ではその語を感謝して戴いています。
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