順成寺創建は顕宗寺 顕宗寺創建は勝鬘寺住職の隠居寺

先日はNHK「ヤングケアラー」の番組を視聴しました。

それはそのまま「若者介護人」ですがまさに「壮絶」を感じました。

ざっと記せば老いた父母、祖父母から始まって障がい、病気、怪我などの要介護の兄弟縁者のすべてまたは殆どの生活の補助を大概の場合「独り」で背負いこまなくてはならないという過酷な現実がこの華美で能天気ともいえる社会にいて私たちはそれらを見過ごしているというもの。

 

そして介護の連続によるストレスでその介護者自身も「病む」ことを知りました。

当然でしょう。

「自分」というもの主張したい自由な時間に恵まれませんし、自身も社会から隔絶された世界で「私」を抑制し、家族のためにただ、ひたすら尽くし限界ギリギリの時間と生活を強いられるのですから。

 

同世代の者たちが何不足なく、あるべき今あるはずの姿、若さそのものを謳歌している頃、縁者の介護に没頭し日々そのすべてに心を向けなくてはならないのです。

精神と体力は勿論、そもそも経済的にも彼らは困窮しています。

介護を受けている親たちの心境も苦しいものがあるでしょう。

親という者は子の成長と仕合わせを願うものですから。

 

私が日々「あーでもないこーでもない」と不満を記している中、今も「身を粉にして」親のため縁者のために「尽くす」若者がいるのですからね。

その「若い介護者」たちに何とか補助の手を向けられないものでしょうかね。

しっかりとお国はその手当てについて真っ当な援助のシステムの法制化なり、手を伸ばして欲しいものです。

 

彼の地の手違いとやらで補助金を振り込んでの「返せ!」、「いや返さない!」のお寒い問答を聞いていると、テスラのイーロン・マスクも言っていた「将来、日本は消滅する」・・・、まんざら極端な話でもなさそうな気がします。

 

さて、拙寺の遠い親戚(拙寺の七代目祐信の実家)順成寺(安藤姓)の創建は顕宗寺(安藤姓)から。

ではその顕宗寺の創建はといえばそのスタートは勝鬘寺住職の隠居寺からといいます。

 

「隠居寺」とは住職がその職を子に継承させて身を引くのですが、別の場所に住処を求め、そちらをさらなる聞法道場にするところから始まります。

今の如く「二世帯」的、感覚はなく寺としての継承は自らの死を待つのではなく「健勝のうちに寺を去る」ことによって次世代の者を育てるという意図があったのでしょうね。

 

たくさんの男子ができればそれぞれに聞法道場を起こさせ各地にその「血脈」・・・何度か記していますがそれは①まさに家のDNA、苗字と②真宗法脈の二つ・・・継承という意義がありました。

 

他流の感覚でいえば主たる教主坊主と弟子との関係でしょう。

大寺があってそちらから小寺(塔頭寺院)として分かれさせる際、かつては現在のように「血縁」についてはまったく考慮しませんね。

最近はどちらの寺でも血縁継承が主になっていますが真宗の場合は当初からずっと「そうでなければならない」でした。

それが親鸞さんが結婚したということ。

当時は相当のインパクトありましたからね。

他流では坊さんの結婚などあり得ませんでしたし。

 

その「隠居寺」からスタートした聞法道場が「顕宗寺」。

要は顕宗寺の「本寺」は勝鬘寺ということになりますね。

年齢からいけば隠居が先に亡くなることはまず必定、その際は基本、勝鬘寺住職が入ればいいのですが、場合によっては次男以下の男子をそこに入れるなどし、さらに自身が隠居する際に別の場所に隠居場の道場を作って入る・・・が繰り返されて「寺」が増えていくという真宗の流布の形がありました。

 

数代を経たとしても血縁の存在は強固な協調を得られるものです。

勝鬘寺の代々の姓も勿論「安藤」。

そこに勝鬘寺-顕宗寺-順成寺の流れがあって、その順成寺から拙寺に勝鬘寺の血脈の一滴が継承されているということです。

宗旨的に今は「どうでもいいことである」に違いありませんが、その本寺末寺、末寺間の婚姻関係枝分かれの血脈形成の姿こそが真宗寺院だったのでした。

他宗派との違いの決定的なところがこの「結婚」。

男子に聞法道場を継承させることに他ならなかったわけです。

勿論男子不在の場合は女子に義子を入れるということですが。

 

一言でいえば真宗寺院のご先祖様は寺同士で「必ずどこかでつながっている」ということになりますね。

本当のところの歴史観、日本人はお寺だけではなく、すべての人はみなどこかでつながっているということなのですが。

それが日本で言われる「袖振り合うも他生の縁」でした。

 

これからは世界中が繋がっているという感覚(同じ地球人として)を養成させる時ですからその血脈に拘ることは陳腐なこととなりました。

 

血縁を追求することは極端ではありますが差別に繋がりかねませんからね。「オレたちと違う」という、それです。

その究極の纏まりを求めようとするのが今やたらと耳にする「愛国心」というヤツでそれが質の悪いプロパガンダであることがわかります。

 

勝鬘寺はご存じ三河における真宗流布のスタートとなった寺ですね。そして若き家康を困らせた三河一向一揆の主体となった三河三ケ寺(本證寺・上宮寺・勝鬘寺)の一つです。

→勝鬘寺HP「勝鬘寺略歴」へ・・・

 

勝鬘寺門前の掲示板

  「みんなの人が  助かるように 

             それが  仏さまの心」

 

助けたい人、助かってほしい人は仰山いるのですが・・・