昨日の日曜日は午前から例の「相良城の石」を軽トラで2回戦、トータルで17~8個を拙寺まで搬出しました。
この日の快晴は貴重でした。
週間予報は以降雨予報ばかり、「梅雨の走り」が始まるよう。
石が集められている場所は学校の裏の原っぱで、雨が降ると、ぬかるんで作業効率が悪くなることもありますが、最近の晴れ続きで車が「石たち」の直前まで近づけるという利がありました。
それまでは重さでタイヤがスタックするおそれがありましたからまさに「今日しかナイ」のチャンス。
そしてこの仕事はそもそもが土日祭日限定と市からお達しを受けていますから。
奥方の手伝いもあって大いに捗りました。
土曜日に菅山でシロアリの大量飛翔を目撃し、すっかり失念していたバルサンを本堂後堂から天井小屋裏にかけて4つ設置してからガタガタになった筋肉をほぐそうと風呂に漬かって終了・・・。
私の方は足も腕も関節に、梅雨どころか「電気」が走っていました。
昨日も記しましたが以前こういう日に「何か仕事を」という人がたまたま現れて(以前はよく現れた)、「それなら」と穴掘りをお願いしたところ、半日もたずに「帰りたい」と泣きが入ったことが思い出されます。
また本堂下でシロアリ防除剤噴霧のお仕事はその件、それを言っただけ、二連梯子を使用しての塗装など「明日頼む」などと依頼して次の日に現れないなどありましたね。
高所に上がってチェーンソーを振り回せなどと頼んでいるワケではありませんが結構にみなさん安直でヤワなものです。
ただし拙寺がお世話になっている石材屋さんは親方と若い人の二人コンビで仕事をしていましたが、最近その若い人は入院してしまいました。そして長期の療養の様子。
腰を痛めてのことですが、毎度重量物といえば私と違って100~200㎏級当たり前の世界ですから。経年痛めてきた積み重ねでしょうね。
親方も最近足を引きづって歩いていますので色々体調悪化の様見受けられとかく仕事の進捗も遅れがち。檀家さんもやりかけの仕事に対して「せっつくのはやめた」と配慮されるくらい。
仕事とはいえ体力勝負の限界を見せつけられています。
ちなみに私は重量物を動かす際は「腰を使わないよう意識」がモットーとなっています。
よって腕と指の関節はその日も「ミシミシ」言ってまた2日ばかり全身に痛みと痺れが残るということになります。
さて遠い遠い親類、顕宗寺の門前に立つと二つの掲示板に目が留まりました。
それが③お寺の掲示板④成瀬廣冬についての標です。
④の「成瀬」はその姓は岡崎にも多いものがあります。
勝鬘寺墓域などその名の墓標が目立ちました。
お寺の掲示板(つまづくのも)「悪くない」は私のその「悪くない」の使用と違っていて少々新鮮でしたね。
その「悪くない」はむしろ「良きこと」「都合よろしき事」「おいしいもの」「楽しいこと」として「ニヤリ」としながらそのフレーズを口にしていますので。
これは相当昔(1974年)のC・イースドウッドの映画劇中の吹き替えにありました。
劇中アイスクリームを一口やった時、相方(ジェフ・ブリッジス)に「どうよ」と聞かれて彼がその言葉を吐きました。
「ああ、悪くない」。
以来、イーストウッド気取りでその語を使うようになったのでしたが。
もっとももっと印象的だったのは映画冒頭、長閑な原野に讃美歌の合唱とポツンと1件の教会シーンから。
イーストウッドが神父として演題に立って説教をしているところに昔のワル友が現れて「銃をぶっ放す」というシーンでした。
そんなシチュエーション「私にもありそうでなさそう・・・」の悪人正機。忘れられない映画です。
ということで半世紀前の映画の台詞を好んで使用しているワケです。
「つまづく」は要は「失敗」「失策」です。
毎度毎度やらかしている身には「失敗も良きこと」と言われて「え?」と見返してしまいます。
まぁ、それもそうとはいえ「痛いのはイヤだ」と思いつつ、その言葉は「お前に反省はあるのか?」と問われているようでもありますから。
躓きにも大小あって怪我も痛みもそれぞれですが、できれば小さい失敗で許していただきたいものです。
やはり一つ一つの小さな失敗を「聞いていく」(香道の「香りを聞く」)と同様、「気づき」というものが必要ですね。
ただし根っからのアホはどうしよう・・・とも。
①は庫裏とキレイに整えられた植木たち。
庫裏は延焼を免れたのでしょうね。
②は聖徳太子像。
詳細不明ですが、一見「真っ黒」。やはり被災したものの何とか「助かった」という様に見えます。
顕宗寺にはその後の大いなる果実があったことでしょう。
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