権勢を握ると「馬揃」の行進をするというところ、よく聞く話です。
本邦では頼朝あたりからでしょうか。
要は軍事パレード、示威行為ですね。
特に著名なのは信長(1581年)でしたが秀吉の場合は朝鮮半島と大茶会の方に傾倒、家康は武家の嗜み、体力と勘の維持(いわゆるスポーツ)としての鷹狩程度でしたから以後軍事パレードの類といえば昭和の学徒動員くらいまで大きな威勢の誇示はなかったような。
それだけ徳川時代が平和だったということです。
徳川時代が終わってから日本の国は戦争だらけになったことからもその安泰は特筆でした。
現代のその「馬揃」と言えば各お騒がせの独裁者が威勢を張っている国というのが定番。
アレを目にするのは吐き気がするほど。気分のいいものではありませんね。
それに悦に入っているそのお偉いさんの顔はまったくアホに見えてなりませんし行進している連中も「よくやるよ・・・」です。
私などその行進に行列に修行に行儀・・・どれもこれも「行」が付くものは大嫌い。
過去には、ヒステリックに指導とやらを振りかざす教師に「ヤル気なし」の態度を察せられてさらに雷が落とされたものです。
平和はいいですね。
そしてまた、教育という名のもと、半強制によって自分の意思に反する事を無理強いされることがなくなった今、それを「あ~良かった」などとつくづく感じます。
私などは教師からすれば統制を乱す厄介者だったことでしょう。血は争えない、代々当家はそんなものなのです・・・
むしろ私など息子が幼稚園やら学校で何かをやらかして奥方が呼び出された際など内心腹の中でニヤニヤしていたくらいですが。奥方は「謝りに行く身にもなれ」でしたが。
ということで軍事パレードなど糞喰らえ。
プーチンのそれも今、話題になっていますが、悦に入るのは勝手ではありますが、お気をつけになった方がよろしいのでは。
ウクライナで散々に無茶をやらかして、無残な死に方をしたその縁者たちが溢れるほどいるということを。
「殺したら殺される」という理は鼻高々の者には意外と通じないものなのでしょうね。
特に日にちも時間も観覧、演説の場所もすべて決まっているようですからね。
「ゴルゴ」(スナイパー)の登場に関して、対策として周囲のビルに警備隊を配置し厳重をアピールするといった画像を流していましたが、射程が長く精度の高い兵器はたくさんありますからね。
ハリウッド映画好きの私など遠距離周囲から何が打ち込まれるか・・・など想像してしまいます。
同時に四方からハチャメチャに精密誘導の攻撃などされればさて・・・などと。
誰もがそのクビさえ獲れば「晴れて戦争終結」となると考えているでしょうし。
要はそのクビ一つですべてが解決しようと推測できるもの。
ウクライナいや世界の「怒り」「反示威」がそこに出現する・・・それをチラッと思ったのでした。
ちょっぴりその希望(戦争の終結)もあったりしますがね。
さて、本日も昨日の順成寺。当大澤寺の「遠い親戚」のことで
す。
寺史情報を直接に伺うことはもはやできませんが、あの西尾市の
教育委員会の発行する書物にはその寺の創建の由来についてサラりと記してありました。
それが表記、
「顕宗寺」(岡崎)―安藤袈裟太郎の子の房太郎(浄恵)からの系譜建立を示唆していました。
昭和四十九年建碑の墓碑には15代住職とありましたので「拙寺とあまり変わりない歴史である」などとは思っていましたがその浄恵の逝去が天正七(1579)年と記してありました。
歴史は約450年で拙寺と同じくらい。
勿論、顕宗寺代々の姓は「安藤」の名乗りで勿論順成寺「安藤」と同じ(場所はこちら)。
真宗の歴代の姓は「ずっと同じ」という掟は本山(大谷姓)と同様です。
一昔前の他宗派からすれば違和感があったことでしょうが最近はどちらのお寺も余程の事がない限り「そんな感じ」になっているよう(親族の踏襲、血脈-法灯-相続)です。
その拙寺と「遠い遠い親戚」の顕宗寺の本堂は鉄筋コンクリート製。
その件、拙寺にて以前あったことをブログで記したことがありますが、本堂下に入り込んだ浮浪者による失火といいます。
失火というか放火に近いものがありますね。
その火事によるお寺の「以後大変」の困窮は痛いほどに想像できますが、何しろ困り切ったことと言えば「過去帳と寺の歴史の喪失」だとのこと。
過去帳は完全なものとして取り戻すことはできないことは明らかですが、ご門徒さん各戸に判明分だけでもと聞いて回ったようです。
どちらかといえば、私など「宗門」については当然ですが社会よりも歴史に生かされているような生活を送っていますのでその辛さはひしひしと伝わってきます。
顕宗寺は「リセット」による大きな障害を越えて今があるのでした。
私は各お寺の本堂周辺をうろつくことが少なくありませんが、中には本堂下の空間にネコの子一匹入り込めないよう、金属製ネットが廻らされている様子を拝見します。
ネコならまだマシ、人が入り込んでそこで煮炊き「生活」などされるとなると、全くお手上げです。
床下への侵入を阻んでおけば余計な心配をしなくて済むということ。
以前祖父が本堂床下に入り込んでいる人を見つけ「スグ出てってもらった」と言っていましたが、それを許容することは命取りであるということですね(その際、私は「気の毒なこと」とは思いましたが)。
最近はそういった人の姿は見なくなりました。
「仕事をさせて欲しい」などいう人もまったくなくなりました。
「無茶ばかりやらせるので寄り付かなくなった」と奥方が言いますが。
私には通常の外仕事なのですがね。
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